広島色のキハ47を手に入れると今度はキハ40が欲しくなり、中古品をポチッとしました。(^^; 8451 JRディーゼルカー キハ40 2000形(JR西日本更新車・広島色・M)と8452 JRディーゼルカー キハ40 2000形(JR西日本更新車・広島色・T)です。 黄色・茶色・クリーム色の塗り分けです。クリーム色部分は、もう少し白くても良いと思いました。 水タンクとクーラーのディテールです。 側面中央のサボ受けのモールドがありません。あと、ドア横のサボ受けの高さが高いです。 もともとサボ受けのモールドは目立たないですし、修正すると結構面倒なので放置します。 付属品リストと転写シートです。 前面方向幕の写真です。車両に取り付けられているものと、付属するものの写真です。 それでは付属品を取り付けていきます。 説明書ではタイフォンと信号炎管の取り付けが最初に書かれていますが、列車無線アンテナを取り付ける場合は穴開け用治具を使用すときに邪魔になるので、信号炎管を取り付ける前に列車無線アンテナの穴開けを行う必要があります。 幌枠はボディーを外して取り付けます。実車はトイレ側の運転台の方に取り付けられていたようです。 前面方向幕は、紺地の「普通」の方が馴染みがあるのでこれに取り替えます。 方向幕パーツを外すときは説明書通りに解放スイッチを解放位置に押すだけですが、取り付けるときは解放スイッチを解放位置にして、方向幕パーツを指の腹でボディーに押し込みながら解放スイッチを固定位置に引かないと上手く取り付けられません。慣れると簡単なのですが、最初は少し戸惑いました。 台車排障器については説明する必要がないですが、すこしダボの嵌め合いが固いです。 また、トイレタンクはM車とT車でパーツが異なります。 出荷時に部品の入れ間違えに気づいたのか、M車用のパッケージにはT車用のほかにM車用のトイレタンクが別袋で入ってました。M車用は取り付けダボの長さが長くなっています。試しにT車用のトイレタンクをM車に取り付けようとしましたが、ダボ穴が緩くて固定できませんでした。 最後に転写シートで車番を入れてできあがりです。(2004(T車)と21212042(M車)にしました。) 広島色は好きな塗色だったのですが、今では懐かしい色になってしまいました。 お茶でも飲みながら昔を偲びたいと思います。 それでは。<(_)>
MicroAce キハ47 更新車 山口鉄道部 灯火類整備
マイクロエース A-0711 キハ47 更新車 山口鉄道部の前照灯、尾灯のLEDを交換します。 そのままだと写真ではこんな感じですが、実際はオレンジ色がキツいです。 前照灯だけならともかく、種別表示窓もオレンジ色で光るのが頂けません。 交換作業を行うために、ライトユニットから基板を抜き取ります。 ついでにライトケースも分解します。 ライトケースの後部を後ろに引くと、写真のように分解できます。 目的のヘッドライトレンズは、写真の真ん中の外したライトケースにくっついてきます。 ライト基板です。 表裏とも厚さ1.3mmの角形オレンジ色LEDが取り付けられています。 裏側(写真右側)のLEDが左に偏心しているのは、床板のライトスイッチとの干渉を避けるためです。 さて、LEDを白色LEDに取り替えます。 入手出来た厚さ2mmの角形LEDを試しに取り付けてみたところ、表側のLEDは問題なくライトケースに収まったのですが、裏側のLEDは床板に干渉して使えませんでした。そこで、裏側には白色のチップLEDを無理矢理取り付けることにしました。チップLEDは床板側のライトスイッチへの干渉を防ぐために、リード線を斜めに延ばしてこれにハンダ付けしています。 このままだと前照灯が色温度の高いHID灯のような感じになるので、ライトレンズに色を塗ります。 まず、分解したライトケースからライトレンズを外します。 マッキーのオレンジでライトレンズの光源側を塗ります。 組み立てて点灯試験をしました。 前照灯は電球色、種別窓は白色になりました。 尾灯については元からライトレンズが着色されているので赤色です。 前照灯と尾灯間に若干の光漏れがあるのですが、有効な手立てがなかったので放置しています。 これで今回の整備は終わりです。 それでは。<(_)>
MicroAce キハ47 更新車 山口鉄道部 入線・整備
中古品のマイクロエース A-0711 キハ47 更新車 山口鉄道部 4両セットを衝動買いしてしまいました。 厳密にはポップの写真が中身と違いますが、M社の製品なので突っ込まないことにしておきます。 種別表示等のシールは欠品でした。 編成は、<キハ47-1007 キハ47-102><キハ47-3501 キハ47-2503>で、各車の切妻側と102・2503番の運転台側にホロがつきます。台車は1007・102番がコイルばね式のDT22系(写真左)で、3501・2503番が空気ばね式のDT44系(写真右)です。台車が示すように3501・2503番は寒地仕様の元1508・507番です。(写真の車両はカプラーを交換しています。) 今回は定番のカプラー交換をしてみます。 写真はいきなり交換後の作例が混じっています。各写真の左から交換前、中央がTNカプラー(0374)に交換してプラ板の細切りのステーを追加したもの、右がTNカプラーとスカート(JC6352+PZ6252)に交換したものです。今回は右の姿にします。試しにやってみた中央が意外に良い感じで、これでも十分かなと思ったのですが、TNカプラーとスカートを調達済みだったので予定通り交換することにしました。 使ったパーツはこれです。 今回はこれらを細かくカットするので、薄刃ニッパーが必須でした。 まず、カプラーを切り詰めます。 1枚目の写真の黄色線で切断します。左右はTNカプラーの蓋にギリギリのところまで切り詰めないようにします。(TNカプラーの強度に影響します。) それをひっくり返したのが2枚目の写真で、また黄色線で切り詰めます。 こんな形になりました。 なお、黄色丸印の箇所に若干の出っ張りがあったので、切れ味の良いカッターで慎重に削りました。 T車の場合はさらにジャンパ栓の上部も切り詰めます。 1枚目の写真の黄色線をカットすると、2枚目の写真のようになります。 スカートは両サイドを写真の黄色線でカットし、ステップ部分を分離しておきます。 このままカプラーやスカートを接着するとお辞儀をするので、床板をドライヤーで温めて、先端をちょっとだけ上に曲げておきます。写真の状態では曲げ過ぎです。温めているといきなり柔らかくなるので注意が必要です。 写真は順にT車とM車ですが、M車は曲げシロが少ないので曲げるのが難しいです。けど、短気は損気ですので気長にやりました。 T車、M車に共通ですが、カプラーの接着部分になる箇所は平らの方が良いので曲がらない様にします。 床板の曲げ加工の有無での比較写真です。1枚目がそのまま、2枚目が曲げ加工済みです。 車体とスカートの隙間がかなり違います。 床板を曲げたら、カプラーを床板に接着して、スカートをカプラーに接着します。 接着剤はすべて木工用ボンドを使っています。 次にステップを接着します。後々の分解整備を考えて床板に接着します。 写真はTOMIX製のキハ47で、位置はこれを参考にしました。 ステップは、適当にベースの左右を切り詰めればよいのですが、T車の場合、小さいステップは写真のように変則的な形に切り詰めます。 ステップを接着した後の写真です。接着は車体と床板を組んだままで行い、乾燥後に車体を外した状態で確認し、必要なら接着剤を足します。 運転台の反対側の連結器は、普通のTNカプラー(0374)をポン付けするだけです。 完成です。男前になりました。 TOMIX製のキハ40系に比べてM社製はお顔の後退角が大きく、スカートが前に出せないために、連結面間隔が狭くなり片幌が限界です。 ついでに側面のLED表示器をトレジャータウン製のTTP258-1 キハ58・40・183小パーツ集で増設します。1枚で2.5両分なので2枚必要です。パーツには、Mr.COLORの銀色で塗装してからタミヤエナメルのフラットブラックで枠内を塗り、エナメル塗料の溶剤ではみ出した部分を拭き取りました。 また、接着は木工用ボンドを使い、乾いてから濡れたティッシュで余分なボンドを除去しました。 これで整備は終わりです。シールは欠品でしたが前面の種別幕くらいは欲しかったので自作しています。 ヘッドライト用のLEDの交換等もありますが、今回はこのくらいにしておきます。 それでは。<(_)>
KATO クモハユニ64 入線
毎度今更の記事ですが、KATO 10-1446 クモハユニ64000(茶)+クハ68 420 飯田線 2両セットが入線しました。 下の箱は、これより前に発売された10-1315 クモハユニ64+クハ68 400 飯田線 2両セットです。 スカ色のクモハユニ64が発売されていたので、茶色のクモハユニ64の追加発売には驚きました。 付属品はどちらもジャンパ栓ランナーがひとつです。 左の茶色セットはクハ68 420が、右のスカ色セットはクハ68 412がお供です。 説明の必要は無いとは思いますが、クモハユニ64は1形式1車両ですので、どちらのセットも車番はクモハユニ64 000になります。 運転席側です。(クモハユニ64は両運転台車ですが便宜上・・・。(^^;) クモハユニ64の向かって右窓上の通風口はどちらのセットも埋められた後の姿です。飯田線転属当初(茶色時代)にはガラリが残っていました。 また、クハ68については、それぞれ幌枠の有無が異なり、表情が大きく異なります。 連結面側です。幌と幌枠が灰色で一体成形になっています。 クモハユニ64の第2エンド側のヘッドライトとテールライトは点灯しませんが、ダミーレンズが入っており実感的です。 クモハユニ64の側面の比較です。それぞれ同じに見えます。 クハ68の側面です。こちらも同じに見えますが、床下機器が若干異なります。 屋根を俯瞰します。上2両が茶色セットで、下2両がスカ色セットです。 クモハユニ64について、実車に習って幌枠に色を入れます。 色を入れるといってもZ04F7953とZ04-7953のASSYパーツに交換するだけです。 こんな感じになりました。 茶色の幌枠については、車体の茶色と色の差がありますが、連結してしまうと気になりません。 なお、連結相手のクハ68については青い幌枠が正解ですが、適当なASSYパーツが見つかれば交換したいと思います。(色を塗ってしまえば早いのですが、面倒なので。(^^;) あと、クモハユニ64の第2エンド乗務員扉後ろの窓(左右両側)については、室内側に木枠があったようです。(写真に茶色で書き込んでみました。)色はマホガニーブラウンが近いと思いますが、資料が潤沢ではないので時代によって異なるかもしれません。再現するなら、茶色っぽく色を塗った紙片を貼り付けるだけでも雰囲気は出せます。 実を言うと初めて作った鉄道模型のキットが無謀にもTAVASAさんのクモハユニ64なのですが、とてもお見せできるような出来ではなく、整った完成品が手に入るようになって、不器用な人間には良い時代になったと思います。それでもキットはキットで良いところもあるので、たまには何かに手を出すとは思いますが。(作っているときが楽しいんですよね・・・。)ちなみに作ったクモハユニ64のキットは大切に保管しています。 それでは。<(_)>
TOMIX ムーンライト九州 入線2
前回のセットBの導入に引き続き、98246 JR 14-200系客車(ムーンライト九州)基本セットと、98247 JR 14-200系客車(ムーンライト九州)増結セットが入線しました。セットBに比べてインパクト不足で売れ行きがよくないのか、高割引率でした。 基本セットのケースは8両の収納に対応しています。 付属品はカプラーポケット付きの台車枠が1個とジャンパーのランナー1枚(栓受・ジャンパーホース付栓受けが各3個)になります。 転写シートは、 オハ14 201~8 ×3,オハ14 251~8 ×3 スハフ14 201~4 ×3,オハフ15 201~3,251 ×3 オハ14 20 ×14,オハ14 25 ×14,スハフ14 20 ×8 オハフ15 20 ×4,オハフ15 25 ×4 1~3 ×14,4 ×10,5~0 ×8 が収録されています。(セットBと同じですね。) セットBと異なるのは展望車オハフ15の代わりにジャンパ栓受けの穴が開いているスハフ14が入っています。 ネットの動画や写真を見ていると、博多方、京都方のどちらのスハフ14にジャンパ栓受けがあったという決まりはないようですが、当社では京都方に設定する予定です。(多い少ないの傾向はあったのかもしれませんが、よくわかりません。) 実を言うと別に増結セットをもう1つ購入しており、セットBと合わせると全12両の導入となりました。4から8両で、いろいろと組み替えて運用する予定です。 それでは。<(_)> 参考記事:TOMIX ムーンライト九州 入線1
TOMIX ムーンライト九州 入線1
98274 JR 14 200系客車(ムーンライト九州)基本セットBが入線しました。 今回は展望室のついたオハフ15が入ったセットですが、晩年の展望室のない編成を再現した98246 JR 14-200系客車(ムーンライト九州)基本セットが、98247 JR 14-200系客車(ムーンライト九州)増結セットを伴い、先行して昨夏に発売されています。(増結セットは今回も再生産されています。) 4両セットですが、8両が収納可能です。付属品は写真の通りです。 転写シートは、 オハ14 201~8 ×3,オハ14 251~8 ×3 スハフ14 201~4 ×3,オハフ15 201~3,251 ×3 オハ14 20 ×14,オハ14 25 ×14,スハフ14 20 ×8 オハフ15 20 ×4,オハフ15 25 ×4 1~3 ×14,4 ×10,5~0 ×8 が収録されています。 似たような商品でマイクロエース製の「リゾート’88白馬」があり、客車の車番は「スハフ14 21+オハ14 183+オハ14 184+オハフ15 12」ですが、 スハフ14 21 → スハフ14 202 オハ14 183 → オハ14 205 オハ14 184 → オハ14 206 オハフ15 12 → オハフ15 202 のように後々に改造されているようで、当社ではこの車番を避けて付番する予定です。 ちなみに、先に発売された98246 基本セットの2両のスハフ14のうちの1両には、ジャンパ栓受とホースを取り付ける指示がありますが、今回の基本セットBのスハフ14には取り付けません。というか、車体に取り付け用の穴がありません。 編成例です。今回の基本セットBを使う編成は、博多←スハフ14 オハ14×4 オハフ15→新大阪 の6両編成となっていますが、ネットでは8両編成の動画しか見つけられませんでした。この場合、5号車(乗務員室は京都方)に栓受けのあるスハフ14がもう1両必要になるので、98247 増結セットのほかに98246 基本セットが必要になります。(違う組成もあったかもしれませんが、資料がなく不明です。) (2020/05/12追記 5号車 栓受けなし,1号車 栓受けありの動画を見つけました。) (2020/05/16追記 1・5号車 栓受けなし,オハフ15の車側の青ラインの形状が製品と同じ動画を見つけました。説明書通りの6両編成もありました。いろんなパターンがあるみたいですね。) 妻面です。 屋根です。 側面です。1枚目が海側(瀬戸内海側)で、2枚目が山側(中国山地側)です。 追記:2枚目(山側)の写真を車両毎に回転させて見やすくしました。(2018/05/20) 床下です。 さて牽引機は何にしましょう。実車だとED76,EF81,EF65,EF66あたりでしょうか。 実際の運用はどうだったかわかりませんがDLでも似合うかもしれません。 (2020/05/12追記 ムーンライト八重垣をEF58-150(茶色)が牽引している動画を見つけました。) それでは。<(_)>
鉄道コレクション キハ54 500番代 TNカプラー化
鉄道コレクション 留萌本線最終列車セットのキハ54 500番台ですが、カプラーがダミーで、連結しようとするとスカートを外して台車マウントのアーノルドカプラーを使用するように指定されています。それではイマイチなので、スカート付のボディーマントTNカプラーを取り付けます。 ダミーカプラーを除去しても、TNカプラーを突っ込むには真ん中の2本のステーの間隔が狭すぎます。ステーとジャンパ栓を切り取って移設させても良いのですが、今回は試しに銀河モデル製のスカートを使ってみます。 スノープロウは製品に取り付けられているものを再利用します。嵌め合いが固い場合はスカートの取り付け部を少し削ったり、スノープロウの両端を削ります。なお、スノープロウを削った場合は、白化した箇所を黒色でタッチアップする必要があります。また、スノープロウを取り付けてみてスカートが歪んでいる場合は、温めて形を整えます。熱には強くない素材のようで、力をかけながらファンヒータの温風で温めると簡単に修正できます。 スカートをねずみ色1号で塗装して、つや消しを吹きます。このパーツは3Dプリンタで製作されているのか積層痕があるので、塗装の前にサーフェーサーかねずみ色を吹き、痕を浮き出させて表面をヤスリ掛けして整えておきます。特にスカート側面を処理する必要があります。 。 スカートができあがったらTNカプラーを当ててみて、当たりのある部分を整えます。TNカプラーは手持ちにあった0374です。ジャンパ栓を切除し、胴受けの外側をちょとだけ削りました。 今回は2両ともM車にします。付属の床下スペーサーは真ん中(M)を使います。 スペーサーとTNカプラーを取り付け(写真1枚目)、スノープロウを嵌めたスカートを接着剤で固定します(写真2枚目)。M車の場合は、TNカプラーはスペーサーのダボにそのまま取り付けます。もしT車に加工を施すなら、床板のダボが中途半端な位置になるので、ダボ穴を無視してTNカプラーを接着剤で取り付ける等のもうひと加工が必要になります。あと、今回は順序が逆になっていますが、動力ユニットの台車枠と床下機器については先に取り付けておく方が良いです。 車体をかぶせたときに当たりのある部分を削ります。車体の窓ガラスパーツと床板のどちらかを削れば良いですが、今回は窓ガラスパーツを削りました。 車体をかぶせて出来上がりです。連結間隔も実感的になりました。 今回はサードパーティー製のスカートを使いましたが、思いのほか高価で入手性も悪いので、コストパフォーマンスを考えると、次があるなら付属のスカートを加工すると思います。 それでは。<(_)>
木次線訪問
昨日の三江線の最終列車を見届けたあと、浜田市に移動して宿を取っています。 本来の予定ではやまぐち号に乗車する予定でしたが、車両不具合により牽引機がD51からDD51に変更になるということで急遽中止にしました。 そこで三江線の転換バスに乗り継いで江津から三次に抜けようと思ったのですが、疲れが溜まっていたのか目ざまし時計をセットしている最中に寝落ちしてしまい、寝過ごしてしまいました。(^^; ということで、プランCの木次線に乗車することにしました。 「SLやまぐち号」の牽引機の変更について、公式ホームページには「心からお詫びします。」と書いてあるのですが、無手数料で払い戻しますとは書いていません。「SLやまぐち号」という列車名でお客さんを呼んでいるのですから、代わりにDD51で走らせれば良いというものでは無いと思います。 ちなみに昨日の江津発三次行きの最終列車は猪と衝撃して遅れたようで、公式ホームページでネタになっていました。ぶつかった猪は無事では済まなかったと思うのですが、都会の人でなければ猪は害獣そのものなので、可哀想とかいうメンタルは無いのでしょう。(猪による食害は本当に深刻です。) 木次線に向かう特急列車の車内から撮影した江津駅です。 駅名標から「江津本町」が消えています。 昨日と今日の写真です。乗り換え案内が消されています。 三江線の出発信号機はカバーを掛けられた上で横に向けられ、線路は枕木とフェンスで閉鎖されています。一般の人が通行する踏切なら理解できるのですが、なぜか「立入禁止」の看板まであります。 最終列車から1日と経ってませんが、三江線の痕跡が着々と消されています。 宍道駅に到着しました。広島方面への乗り換え案内がありますが、急行「ちどり」が廃止された現在では、非現実的な案内かもしれません。 宍道駅から木次線に入ります。木次線はこの駅が起点のようで0キロポストがあります。 時刻表に掲載されてる列車は少ないです。ただ、宍道口はまだ多い方で、木次、出雲横田と先に行くにつれ減っていきます。 写真は乗車した1445Dで、キハ120-206の単行運転です。 終点の木次駅です。この駅ではきっぷの補充と駅スタンプの収集が目的です。 横断幕がありましたが、さすがに「ありがとう」と書いてあったらちょっとブラックですね。 しばらくすると「奥出雲おろち号」がやってきました。指定席は満員でした。 記念ヘッドマークを取り付けているようです。 この列車も使用車両の車齢が怪しいので、近いうちにもう一度は乗車したいと思っています。 「奥出雲おろち号」に先んじて木次駅に到着した出雲横田駅からの1448Dです。トップナンバーのキハ120-1でした。このあと、備後落合方に首都圏色のキハ120-208を締め切り扱いで連結して、宍道駅に向かいます。このとき、車両同士を連結するだけで幌はつなぎません。 1448Dに乗って再び宍道駅に到着です。 1448Dは折り返して備後落合行きの1449Dになりますが、今度はこれに乗車します。1449Dは宍道駅まで乗車したキハ120-1が締め切り扱いになり、折り返して先頭になるキハ120-208に乗客を乗せて出発しました。 実はこの日の1449Dがもの凄い混雑で、出雲大東駅から積み残しが発生しそうになり、後部のキハ120-1と幌で連結して乗客を乗せることになりました。この手配で約20分の遅延が発生しました。 混雑の原因はこれかなぁと。 木次駅の雲南市桜まつりには一週間早いのですが、沿線の桜は満開でものすごく綺麗でした。 日本人ではなさそうな方が多かったのですが、こんな地方にも来るんですね。 列車内の大混雑は木次駅で多少解消されました。 出雲三成駅で三江線の江津発三次行きの最終列車に充当されていた車両の返却回送列車と行き違いがありました。宍道方からキハ120-311,317でした。 追記:木次線を経由すると山陰本線上で車両の前後が入れ替わってしまいますが、ネットの情報では米子の転車台を使って方転されたようです。 出雲横田駅で後ろにつないでいたキハ120-1を切り離し、単行で出雲坂根駅に到着しました。遅延は約15分でした。 この駅で「奥出雲おろち号」と行き違いをします。そのための待ち時間でこの15分の遅延は吸収できたはずなのですが、肝心の「奥出雲おろち号」が約30分遅れているとのことでした。orz 駅舎と時刻表です。「奥出雲おろち号」を除くと1日3往復です。 前回は駅の向かいの水汲み場まで行きましたが、延命水は駅舎のそばでも飲めます。 出店で買った食料を食べていると、スイッチバックに向かう「奥出雲おろち号」が上の方に見えました。 「奥出雲おろち号」がスイッチバックを下って来ました。こちらもすぐに出発です。 35分遅れで出雲坂根駅と「奥出雲おろち号」を後にしました。 スイッチバックのスノーシェルターに向かいます。線路はシェルターを出てからも先に伸びています。 奥には4両の停車標識がありますが、最大で5両は停車できそうです。 備後落合方の展望です。信号機の現示が変わるのを待ちます。 分岐器が転換されて進行現示になりました。出発です。 隣の三井野原駅までの上り勾配を進みます。この先にある勾配標には30.0‰と書かれています。 木次線の商売敵?の奥出雲おろちループ(国道314号)です。 32分遅れで備後落合駅に到着です。この駅で接続待ちをしていた新見行きの444Dに乗り換えます。 (座席の確保のためにまともな写真が撮れていません。) 444Dは14:37発ですが、約30分遅れで出発しました。 やっと新見駅に到着しました。遅れは回復することなくそのままでしたが、何とか乗り継ぎの特急列車に間に合いました。 これで木次線の乗車記録は終わりです。しかし、今日は宍道からの1449Dの混雑で落ち着かなかったです。木次までは本当に激混みでしたし。まぁ、木次駅と出雲横田駅の駅スタンプが回収できたのでヨシとしましょう。 今度こそはやまぐち号に乗車したいと思います。 それでは。<(_)>
さよなら三江線2
三江線最終日の続きになります。 江津駅にて、発着する三江線の列車を見送ります。 江津駅発の三江線最終列車(浜原行き)の発車予定時刻まで25分ほどですが、意外と人はいません。 19:08分発の浜原行きが、この駅を出る三江線の最終列車9431Dになります。 三次発の9428Dが予定の18:57を10分ほど遅れて到着です。 これが折り返して、最終の9431Dになります。車番は浜原←キハ120-312,316でした。 最終列車ですが、車内には結構な余裕があります。ホームにいる報道陣や見送りの人達の方が多いくらいでした。 定刻から5分ほど遅れていよいよ発車のアナウンスです。 長い汽笛を鳴らしてから列車が動き出し、蛍の光が流れる中を浜原駅までのラストランに出発していきました。 浜原行きを見送った後、三江線特需なのか駅の近くの大阪王将が夜の営業を打ち切っており、モスバーガーで夕食をとりました。しかし、モスバーガーは値段が激高ですね。大しておいしくないですし。これでは経営が傾いても仕方が無いと思います。(個人の感想です。(^^;) 食事を取って21:15位に駅に戻ると、コンコースやホームには報道陣やらで人がいっぱいでした。 ほとんどが21:27に到着する三次からの三江線最終列車(9430D)を待つ人たちなんでしょう。 もう、江津駅を出発する三江線の列車はありませんので、この9430Dが営業列車としては三江線の本当の最終列車となります。(三次駅や浜原駅へのほかの最終列車も、定刻運転ならもう到着している時刻です。) 時間が経つにつれて更に増えた人でごった返すホームに9430Dが25分遅れでやってきました。 車番は江津←キハ120-307,308でした。 これで、三江線の営業は終わってしまいました。 写真は到着直後のホームの状態ですが、ゆるキャラの頭が・・・。ww 何とか先頭車両を撮りましたが、これ以上は車両に近づけません。 花束贈呈が行われていると思われますが、全く見えません・・・。 到着した最終列車は22:05頃に浜田方面に出発しました。 長い汽笛の後、列車は心持ちゆっくりと動きだし、定番の「ありがとー!」の声の中、夜の闇に消えていきました。 今夜の宿の関係もありそのまま浜田駅にやってきています。 浜田駅の出札機上の運賃表はすでに三江線が消されており、三江線の廃線を実感してしまいました。 0:05頃、江津駅での喧噪が嘘のように静まりかえった浜田駅の3番乗り場に、三江線の浜原止まりの最終列車をつないだ4両の回送列車が入ってきました。これが本当に三江線を走った最後の列車になってしまいました。 (浜田←キハ120-319,314,316,312→浜原) ほどなく列車はひっそりと車両基地に折り返して行きました。 添乗していた乗務員さんの首にはレイがかけられたままでしたが、仕事で乗務しているといっても、乗務員さんも仕事以外の何かを感じていたのかもしれません。 これで三江線最終日の記録は終わりです。子供の頃からの三江線の旅での出来事は大切な思い出の一つだったので、実を言うとかなり凹んでいます。立ち直るには少し時間がかかりそうです。 それでは。<(_)>
さよなら三江線1
本日で三江線の鉄道営業が終了します。 いても立ってもいられず、江津駅で旗を振ってきました。(旗は駅で配られたものです。) 午前中は鳥取砂丘にリベンジしてきました。(前回は大雨でした。) 朝だったので風紋が美しく残っていました。時間が経って観光客が多くなると足跡だらけになります。 前回は降雨のため休業していたラクダにも乗りました。 ラクダを満喫した後、江津駅に移動です。 江津駅に着いた後、三江線のきっぷを買いました。 実際は今日1日しか使えませんが、払戻期間の関係か有効期間は4月1日までとなっています。 路線図と時刻表です。明日には無くなってしまうんですね。 14:33頃に浜田方から回送列車が入線し、折り返して引き上げ線に入っていきました。 車番は三次方からキハ120-314,319です。この後の9427Dに充当されます。 続いて、石見川本始発の9426Dが15:55に11分ほど遅れて到着しました。 先頭から木次線色,芸備線色,神楽ラッピングの3両編成(江津←キハ120-5,325,310)でした。 9426Dが回送車となり発車した後、入線を待つ人でごった返す乗り場に三次行きの9427Dが入ってきました。 定刻の15:15から6~7分遅れて出発です。三江線は右に分かれて進みます。 途中の千金駅です。地元の方もお出迎えです。 今回は江津からちょうど7kmの川平駅で下車しました。 珍しく駅舎然とした建物が残る駅です。 駅舎の入り口の右に立つバス停は、明日からの転換バスのものです。 江津駅まで徒歩で帰ります。 のんびりしすぎて、千金駅の手前で三次行き最終列車を撮り損ねました。orz 車番は三次←キハ120-317,311だったようです。 しばし列車が来ないので、ひっそりとする千金駅です。 駅の近くにいた牛さんとヤギさんです。のどかです。 このあと、牛さんは近くの牛舎まで道路上を牽かれて歩いていました。 しばらく歩いて江津本町駅に着きました。 ホームが道路と同じ高さにあるので、知らないと鉄道駅とはわからないです。 それぞれ江津方と三次方です。 普段の運動不足が祟って痛む足を引きずりながら、明るいうちに江津駅まで戻ってこられました。 駅前では号外を配っており、特別編集の新聞も販売されていました。 江津駅構内をウロウロしていたタヌキの写真で、一旦、中締めです。