(1日目その1/3へもどる) 夕鉄本社ターミナルからバスに乗って「夕張市石炭博物館」に向かいます。 バスの車中から撮った鹿ノ沢駅です。 道の奥の方に駅舎が半分だけ写っています。 15分位で社光バス停に着きました。 バスの運転士さんによると、「石炭博物館」は更にこの先だそうです。 バスの運転士さんの言葉を信じて"この先"に行ってみます。 向こうにノボリのようなものが見えるので、とりあえずそっちの方に歩きます。 一応、案内表示らしきものがあります。 案内に従って階段を降ります。 階段を降りると足下が怪しそうな広場のようなところに出ました。コンクリートブロックの案内表示がここを歩けと言っているのですが、そのブロックが壊れており本当に信じて良いのか不安になります。 どうやら夕張市は公共交通機関の利用者は大事にしていないようで、そのうち鉄道だけでなく、バスも無くなるような気がします。(^^; 仕方が無いので、割れたコンクリートブロックの矢印に従って、足下に注意しながら広場を突っ切って歩きますが、広場を出たところで道が左右に分かれています。 右の道はトラ棒で通行止め表示がしてあるので左の道に行こうとしたのですが、右の道に立て看板があることに気がつきました。 危なく道を外れるところでした。 もう少しわかりやすくならないものでしょうか。 ちなみにこの道の上に架かる橋は跨線橋だったそうで、今歩いている道が昔の線路ということになります。 安っぽくて、いまいち信頼して良いのかわからない案内表示に疑心暗鬼になりながらひたすら進みます。 少し進むと左手が開けてきて、森の中に石炭の歴史村と書かれた何かが見えてきました。 何の「順路」かわかりませんが、とりあえず道は外れていないようです。 ・・・、着きました。(^^; 10分位だと思いますが、とても長く感じました。 しかし、外から見ると何か思っていたよりもショボい建物です。入館料が大人1,080円であることは事前に調べていましたが、建物規模の割に入館料が高いように感じて、ちょっとイヤな予感がしました。 内容は石炭の採掘に関する歴史の紹介や機材類の展示と、本物の坑道や石炭層の見学になります。 最初にイヤな予感がすると書いてしまいましたが、スミマセン、土下座をして謝ります。とても面白かったです。これだけの内容の施設だと1,080円は安いかもしれません。 今回は1時間足らずの見学時間でしたが、あと30分は時間が欲しかったです。 博物館出口は入口から離れた駐車場付近になります。 バス停に行くためには博物館入口付近に戻らないといけませんが、坑道に入るために途中でエレベーターを使って下降してきているので、階段を上って戻る必要があります。 今度はさすがにバス停まですんなりと戻れました。現在の時刻は15:15です。 博物館を見学して満足していたのですが、バスの出発待ちの車内で運転士さんから、現在は全く面影がないけど山の上まで家が立ち並んでいたとか、山にある木は坑道の支えに使うために松が植林されたとか、ここの石炭は火力が強すぎてストーブが壊れるので屑炭を混ぜて使ったとか、さらに面白いお話を伺い、お腹一杯状態になりました。 次はバスに乗って夕張駅に向かいます。 (1日目その3/3へすすむ)
北海道’18.6 1日目 夕張編 1/3
久々に北海道に来ています。今回は5日間の予定です。 1日目は新千歳空港に着いた後、千歳駅からのスタートです。 千歳駅までは3865M快速エアポート101号で、小樽側からB-3204+B-3104編成でした。 今日は夕張に行きます。石勝線夕張支線の来春の廃止が決まったと言うことで、せっかくこの時期に北海道に来たのだし行ってみることにしました。 千歳駅から10:38発の2629D夕張行きに乗ります。キハ40-358の単行運用です。 途中の追分駅で撮ってみたキハ40-358です。 沿線はこんな感じで北海道だなぁと思います。 ちょくちょく長時間停車をするので、なかなか前に進みません。 写真は川端駅です。駅名標の隣の駅名の部分に上貼りした跡がありますが、元々は追分駅との間に東追分駅がありました。しかし、2016年3月26日に信号場になっています。 川端駅の駅舎の内部です。ストーブの撤去跡があります。 途中にあれだけ停まっておいて夕張支線の起点となる新夕張駅はあっさりと発車し、写真は支線に入って1つ目の駅の沼ノ沢駅です。 2つ目は南清水沢駅です。 沿線はこのような感じですが、車窓から見える範囲で家屋が点在しており秘境という感じはしないです。後からわかったのですが、夕張支線は清水沢駅-鹿ノ谷駅間だけが山の中を通るという感じがします。 清水沢駅で千歳駅から乗車してきた2629Dとお別れをします。 それぞれ夕張方と新夕張方です。 ホームから駅舎まで少し離れています。大きな貨物ヤードがあったのでしょうか。 (追記:1987年までこの駅から分岐する私鉄線があったとのこと。(Wikiより。)) 駅舎の遠景です。 写真を撮っているうちに社光(しゃこう)行きのバスが来たので慌てて乗りました。 清水沢駅前バス停から10分位の黄色いハンカチロケ地前バス停で下車します。 来年廃止される夕張支線ですが、夕張駅から南清水沢駅の間はそれなりにバスの本数があります。これでは1日5往復の鉄道ではかないません。廃止に伴いバスダイヤも見直されるでしょうし、夕張支線が廃止になってもあまり困らないかもしれません。問題は鉄道より高いバス運賃ですが・・・。 目的地は「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」です。すぐに坂をのぼりつつ踏切を渡ります。 踏切から見た夕張方と新夕張方です。北海道らしく真っ直ぐな線路が延びています。 今回はこのまま「想い出ひろば」に出発してしまったのですが、少し待てば2629Dの折り返しの2628Dが撮影できたのに迂闊でした。 「想い出ひろば」までは案内表示があるので道に迷うことはありませんが、ちょっとした山登り的な坂道になっています。 施設の前はお花畑でした。 少し施設の中に入って振り返って見た写真です。 左の黄色い小屋が券売所です。お年寄りやJAFの会員には割引があるみたいです。 右の建物は売店&カフェです。それほど品数はなかったのですが、今回は「たんどら」というどら焼きを買いました。 奥の建物が展示場です。 閑古鳥が鳴いているわけではなくパラパラとお客さんが来ていました。年配の方ばかりですが。 主な内容は映画「幸福の黄色いハンカチ」の解説とそれにまつわる展示です。 所要時間は30分ぐらいで、本当にじっくり見ても1時間は掛からない位です。 ちなみに映画の主演は高倉建さんで、倍賞千恵子さんや桃井かおりさん、武田鉄矢さんらが出演されています。寅さん役じゃない渥美清さんも観られます。ベタな展開の映画ですが、私は好きです。 次の社光行きのバスを鹿の谷駅前のバス停で捕まえようと「想い出ひろば」から歩き出したのですが、途中の郵便局でお金を引き出そうと入ったところ、ATMの操作に困っているおばあさんがいたので操作方法を教えてあげたりして時間が無くなり、写真の夕鉄本社ターミナルまでしか歩けませんでした。 お金やモノを操作パネルの上に積み上げるとパネルが反応しなくなるとおばあさんに何回教えても、次の操作の度に積み上げてしまい、「アレ?アレ?」と言って何度も同じところをタッチし続けてなかなか操作が進まないんですよね。さすがに全部代わりに操作してあげるのも気が引けますし、こちらも困ってしまいました。 少し時間があるので、待合室で「たんどら」を食べます。 「たんどら」って、「石炭みたいなどら焼き」の略称でしょうか。 割ってみると餡とクリームがサンドされていました。 普通のどら焼きよりもおいしいと思いました。 建物の裏表にバスの発着場がありますが、社光行きは道路側の1番乗り場になります。 次は社光バス停で降りて「夕張市石炭博物館」に行きます。 (1日目その2/3へすすむ)
キハ47他 スカート・水タンク交換5
最終回です。 スカートの交換は、保有するTOMIX製のキハ40 2135, 2137とキハ48 4,1004に対して行います。 キハ40 1両もしくはキハ48 2両でスカートが1袋(2個)が必要になります。 今回は説明書の通りに取り付けようとしたところ上手く出来ずにパーツを適当に切り貼りしてしまったので、参考になるのかわかりません。 スカートの塗装は以前に終わらせています。 カプラー部分を分解します。 スノープロウを取り外して中央上部の突起を残して他を削り、スカートに接着します。接着は瞬間接着剤で仮止めして、あとでカプラーにきちんと接着します。 次にTNカプラーを分解します。 カプラーケースを加工しますが、まず両端のスカート支持用の突起を切り詰め、胴受けもスカートのステーが当たる部分を削り取ります。 スカート当ててみて、カプラーケースの前端とスカートが面一になることを確認します。 このときカプラーを動かしてみて、首振り時に引っかかりがあるときは2枚目の写真のステーの角を削ります。大抵は1番(左)の角だけで良いですが、たまに2番(右)の角も削る必要がありました。 カプラーを組み立て、スカートとスノープロウを接着します。 また、元のスカートからステップを切り出して車両に接着します。ステップを実車と同じ位置に取り付けると台車が回転したときに引っかかるので、少し前方に逃がして取り付けることになります。 なお、今回はスカートの側面の穴は使用していません。 スカートの交換前後の比較です。奥が交換前で手前が交換後です。 スカートの角度が異なることがわかります。 水タンクはキハ48のみ交換しています。キハ40については製品のままです。 キハ40,キハ48の整備はこれで終わりです。 今回使った水タンクとスカートですが、メーカー標準の製品と少し違った車両を保有したいなら良いアイテムだと思います。ただ、1両2両なら良いのですが、たくさんになるとお値段がちょっとネックになりそうです。 それでは。<(_)>
キハ47他 スカート・水タンク交換4
先日の続きです。 TOMIX製のキハ47については以前に車番インレタを転写してあったのですが、水タンクとスカート形状を考慮して転写をし直します。 車番等は、2(ホロ,水タンク角形),5(水タンク角形),35(水タンク蒲鉾形),37(ホロ,水タンク蒲鉾形),1018,1019(ホロ),1021,1027(ホロ)として、スカートは製品のままとしました。なお、タイフォンについては、初期に製造された2,5についてはA形,ほかをC形としています。 (いつの間にかキハ47の保有数が倍増しています・・・。www) 1枚目の写真は水タンク角形、2枚目の写真は水タンク蒲鉾形です。 写真の左がA形タイフォンで、右がC形タイフォンになります。 キハ47の整備はこれで終わりです。 運用については、2連の普通列車から8連の快速列車まで色々と考えています。 次はキハ40とキハ48のスカートと水タンクの交換をします。 <(_)>
キハ47他 スカート・水タンク交換3
昨日に塗装した水タンクを取り付けます。 トミックス車はタンクを外すとダボ穴がありますので、タンクをそのまま押し込みます。 キハ48用はすんなり入りましたが、キハ47用は固かったのでダボ穴をキリで広げました。 マイクロエース車に取り付ける場合は、屋根にダボ穴を開けます。開けたダボ穴が緩い場合は接着剤を使います。 2両のうち1両は、元の水タンクを外すと一緒に屋根の塗装が剥がれてしまったので、これを新たな水タンクで隠すように位置決めをしました。 こんな感じで出来上がりです。 一番右はキハ48ですが、キハ47と違って水タンク頂部の蓋が車体中央側になるようです。 本日は時間が無いので、スカートの交換は日を改めることにします。<(_)>
キハ47他 スカート・水タンク交換2
今日はキハ47とキハ48の水タンク(とスカート)を塗装します。 クリームクレンザーでゴシゴシ洗います。酸洗いもやった方が良かったかもしれません。 一度に複数種類を洗うときには、裏に記号を書いておいた方が良いです。後でひよこ鑑定士のようなことをしなければならず往生します。(^^; いきなり塗装済みの写真です。色はTOMIX製品の屋根色に合わせました。 左の2個がキハ47(角形)用、中央の4個がキハ47用、右の2個がキハ48用です。 今回はぶっつけ本番で塗装をしてしまいましたが、肌が荒れているものがあるので、まず仮に色を塗って表面の傷や状態を見てペーパー掛けを行い、再塗装を行った方が良いみたいです。 実はキハ47用のうち2個はマイクロエースのキハ47に取り付けるつもりでしたが、何も考えずにTOMIXの屋根色で塗装してしまっています。また調色しないと・・・。(TT) 例のごとく調色に時間がかかり、今日はここまでです。<(_)>
キハ47他 スカート・水タンク交換1
ネットを巡回していると、トレジャータウンさんからキハ47等の水タンクの交換用パーツが発売されているという情報を見つけたので、試しに購入してみました。 今回はキハ47用とキハ48用の水タンクを購入しました。キハ40用の水タンクも発売されているのですが、はじめから模型に取り付けられているものとそれほど変わらないだろうと思って購入しませんでした。 ついでに交換用のスカートも購入しています。 キハ47用の水タンクです。 こちらもキハ47用ですが、初期タイプの角形です。 キハ48の水タンクです。 一緒に購入したキハ40後期型スカートです。 説明書には、 キハ40 218~,593~,2107~ キハ47 144~,1097~ キハ48 1~,1001~,301~,1301~,552~,1543~ が対象となっています。 取り付けには塗装を伴うので、作業は後日にします。 今日は写真を撮って終わりです。<(_)>
TOMIX キハ47 500・1500番台 0・1000番台化
以前のキハ48に引き続き、TOMIX キハ47 500・1500番台を0・1000番台に改修してみます。 改修といっても、例によって台車の交換だけですが。 対象は、92165 キハ47 500形ディーゼルカーセットが2つです。 今となっては、購入当時に何を思って500・1500番台をチョイスしたのかわかりませんが、何とももったいない話です。 交換する台車として、分売パーツの0443(M車用)と0074(T車用)のDT22系を用意します。 台車交換のついでに付属品も取り付けていきます。 なお、転写シートには、 キハ47 22,31,50,66,104,113,145,187,188,189 ×各3 キハ47 1003,1028,1044,1087,1109,1110,1129,1130 ×各3 キハ47 501,502,507,508,509,510,514,515 ×各3 キハ47 1503,1504,1506,1507,1509,1510,1519,1520 ×各3 JRマーク ×7 キハ47,キハ47 1,キハ47 5,キハ47 15 ×各3 1~0のバラ数字 ×各10 が収録されています。 台車の比較です。上のDT44系を下のDT22系に交換します。 運転台側の台車には、あらかじめ台車排障器を取り付けてから交換します。 また、運転台と反対側の台車を外したときにエアタンクを取り付けます。 台車交換および台車排障器とエアタンク取り付け後の写真です。 先にT車に手を入れましたが、M車についても手順は同様です。 続いて前面の穴にタイフォンと信号炎管を取り付けます。 タイフォンはA~Dタイプの4種類が付属していますが、実車の写真を調べてCタイプを選択しました。 また、それぞれLとRの区別がありますが、運転席に座ったときに左がLで、右がRになります。 パーツを取り付けると凜々しくなりました。 車番を転写し、幌枠と前面方向幕を取り付けてできあがりです。 車番は転写シートから数字を拾って1980年代前期の福知山区のものを作りました。写真の左から37,1024,165,1108です。キハ47 0番台についてはもともと屋根上水タンクの細部の作り込みがエラーのようですが、初期に製造された車両の水タンクは明らかに形状が異なるので、車番の採用を避けています。 幌枠は下り方に取り付けられていましたが、車両の方向については手持ちの1985年の写真(旧保津峡駅)で、京都← <キハ47-0 <キハ47-1000 キハ47-0> キハ47-1000> →福知山 になっており、0番台や1000番台が必ずどちらにお顔を向けているとか、0番台と1000番台で必ずユニットを組んでいるという決まりはなく、意外と自由な組み合わせのようです。今回はネットで実車の写真を確認しつつ、キハ47-37とキハ47-1108に幌枠を取り付けてみました。 前面方向幕は「快速」と「普通」を取り付けました。「普通」は青地幕です。 なお、写真をよく見ると1985年には列車無線アンテナが設置されていることがわかりますので、模型の設定はこれ以前ということにします。 それではこれでもったいない改修は終わりです。次からはよく考えて購入したいと思います。(^^;
TOMIX キハ40 2000番台 入線・整備
TOMIX 8405 8406 キハ40 2000形が入線しました。所有していた500番台を売り払って中古品を購入しています。 先日のキハ48は台車を交換して寒地向けを暖地向けに仕立てましたが、キハ40については寒地向けと暖地向けでは台車の他にも窓や窓枠が異なるので、仕方なく買い替えることにしました。 そもそもは何も考えずに寒地向けの車両を購入してしまったことが悪いのですが・・・。 8405がM車、8406がT車です。 付属品は写真の通りです。 インレタは、 キハ40 117 126 162 193 208 231 250 ×3 前面用番号 ×3 キハ40 554 559 560 562 574 576 577 581 589 594 ×3 キハ40 2003 2005 2019 2024 2032 2037 2044 2057 2068 2076 ×3 キハ40 2085 2099 2100 2107 2110 2113 2131 2141 2142 2148 ×3 バラ数字 キハ40 1~0 ×4 前面用番号 1 2 ×4 3~0 ×3 JRマーク ×5 が収録されています。 車番は敦賀機関区所属の2137と2135にしました。 当然インレタのバラ数字を拾うことになりました。 車番が決まるとタイフォンの形状も決まってきます。 説明書では写真のCタイプかDタイプを指定していますが、今回はCタイプを選びます。 タイフォンは同じCタイプでもLとRの2種類があり、形状が異なります。運転士から見て左がLで右がRなのですが、最初はうっかりしていて間違えてしまいました。 また、種別幕については出荷時に白地の「普通」が車両に取り付けられていますが、「快速」と紺地の「普通」が付属していますので、紺地の「普通」に交換します。 なお、幌は水タンクのあるエンドに取り付けています。 信号炎管とトイレ流し管も取り付けました。信号炎管は治具を濡らしてパーツが落ちないようにしてから取り付けました。なお、列車無線アンテナは取り付けていません。 最後に台車排障器を取り付けます。ダボ穴がきつかったので、細先ペンチでつまみました。 ちなみに、キハ40-2000番台とキハ48では窓と窓周りが異なることが分かります。 (キハ40-500・1500番台とキハ48は同じです。) 以前に整備したキハ48-0・1000番台と並べてみました。 想定する滋賀県内のデットセクションでの運用については、キハ48-0+キハ48-1000とキハ48-0+キハ40-2000の2両編成の写真がそれぞれネットで見つかりましたが、キハ40同士という組み合わせはあったのでしょうか。またボチボチと調べていきたいと思います。 それでは。<(_)>
TOMIX キハ48 500・1500番台 0・1000番台化
キハ48 0番台(便所あり)と1000番台(便所なし)は製造両数があわせて10両であり、100両以上も製造された500・1500番台に対して少数派で、TOMIXでは500・1500番台は製品化されましたが、さすがに0・1000番台は製品化されていません。しかし双方の実車写真を見比べても車体構造は同じに見え、違いと言えば、0・1000番台の台車はDT22系で、500・1500番台はDT44系であることくらいです。そこで、TOMIXから発売されてるキハ48 500・1500番台について、台車を交換して0・1000番台に仕立ててみたいと思います。 必要になるものは、 92163 国鉄キハ48 500形ディーゼルカーセット, 0433 DT22N形動力台車×2箱,0074 DT22E形台車×1箱 です。 早速、台車を交換します。1枚目の写真が交換前で、2枚目が交換後です。 車番はキハ48 4とキハ48 1004にしました。いずれも新製時に敦賀区にいた車両です。 なお、付属のインレタを下記のように組み合わせて転写しています。 ・「キハ48 517」の「17」を削って転写し、「5」を消して「4」を転写 ・「キハ48 1524」の「52」を削って転写し、「0」を2つ転写 (インレタをフィルム上で削るのには細平刃を、車体上で削るのには楊枝を使いました。) ちなみにキハ48セットに付属するインレタに収録されている車番等は、 キハ48 301~304 ×3 前面用番号 301~304 ×3 キハ48 1301~1303 ×3 前面用番号 1301~1303 ×3 キハ48 517 520 526 529 531 535 541 542 547 553 555 559 ×3 キハ48 1520 1524 1528 1530 1531 1534 1537 1539 1541 1545 1548 1550 ×3 キハ48 ×6 バラ数字 1~0 ×15 JRマーク(白) ×8 です。 また、車体を眺めているとのっぺらぼうの臭気抜き窓が目に入ったので、50系客車に使ったくろま屋さんの臭気窓Hゴムインレタを貼ってみました。 仕上げに、信号炎管・台車排障器・床下エアタンク・タイフォン・幌を取り付け、標準で取り付けられていた白地の種別幕を紺地に交換しました。新製配置時を想定しているので、列車無線アンテナは未取り付けです。TNカプラーが白化してしまっているのが何ですが。orz 今回の製品は標準でヘッドライトが電球色、種別幕が白色で点灯しますので、光源の変更はしていません。 これで北陸本線と湖西線の2つのデッドセクションを行ったり来たりしていた懐かしいキハ48になりました。 それでは。<(_)>