(1日目その3/3へもどる) 北海道の朝は早いです。夏至に近いこの時期だと4時前に日が出ます。 早めに宿を出て、札幌の市街地を散策します。![]()
南1西5の交差点です。時刻は5時過ぎです。市電の始発は1時間も後です。
大通公園の先にテレビ塔が見えます。
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大通公園ではガーデニングコンテストが開かれており、色取り取りの草花が目を楽しませてくれます。 中には、これから訪問する新十津川駅をモチーフにした作品もありました。
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残念ながら時計台は工事中でした。
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道庁です。窓の上の赤い星が特徴的ですね。
札幌駅に着きました。
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531M石狩当別行きです。6:21発です。この駅が始発となります。 石狩当別←F-1編成+F-13編成の6両編成でした。 それなりに座席は埋まっていますが、終点までには殆どの人が降りてしまいました。
いきなり写真が飛びますが、石狩当別駅で隣に停まっていた列車に乗り込みました。 新十津川行きだと思っていたのですが、5423Dの浦臼行きでした。本当にうっかりさんです。 慌てて調べると新十津川行きはこの後の列車のようですが、すでに列車も動き出してしまっており、仕方ないのでこのまま浦臼駅まで乗車することにします。 列車はキハ40-401の単行運転でした。
こんな感じの田園風景が続きます。
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石狩月形駅です。駅員さんの姿が見えたので有人駅だと思います。 あいの里教育大駅から新十津川までの単線区間では唯一の交換可能駅になります。
札沼線の非電化区間は、大抵こんな感じで整備された道路が併走します。おまけに石狩当別駅を出たときはボックス席に2人づつくらいの混雑度でしたが、浦臼駅では全員で5~6人までに減っていました。また、札幌駅方面に行きたければ石狩川を渡れば函館本線が近いので、そのようなバス路線を整備すれば、残念ながら札沼線の非電化区間は不要に思えます。
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定刻の8:00に終点の浦臼駅に到着しました。後続の新十津川行きは9:06になります。
この列車は、折り返して8:08発の5424D石狩当別行きになります。 新十津川行きが追っかけてきているので、交換可能な石狩月形駅まで戻らないといけません。
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駅舎はおしゃれな感じです。2枚目は中からホーム方向を見た写真です。
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中から出口側を見た写真です。内部だけなら三江線の香淀駅を思い出しました。
駅としての部分は建物の左側の一部となります。全体では立派な建築物です。地域のコミュニティーセンター的な位置づけでしょうか。
新十津川方面には本当に1日1本しか走っていません。
ちょっと悲しげなポスターです。
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駅前を歩いてみましたがめぼしいものも無く、1時間後に5425D新十津川行きがやってきました。 新十津川駅への始発でもあり終発でもあります。車両はキハ40-819でした。
車内はお名残り乗車で混雑しています。
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20分ほどで新十津川駅に着きますので、座れなくても苦になりませんでした。
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車止め方と桑園方です。
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お出向かいのかわいらしい踊り子さんたちです。幼稚園くらいの年齢でしょうか。
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10時ちょうどに1本だけですね。浦臼からは260円でした。
駅ではここぞとばかりにグッズを販売していましたが、ご当地入場券と台紙を買いました。
5分ほど歩いて、新十津川役場バス停からバスに乗って滝川駅に向かいます。 お仲間は数人でした。5425Dの残りの乗客はこの後のバスか折り返し乗車になると思われますが、昨日の夕張駅と同じなら、殆どが折り返し乗車なんでしょう。 (2日目その2/3へすすむ)
カテゴリーアーカイブ: 外出
北海道’18.6 1日目 夕張編 3/3
(1日目その2/3へもどる) 石炭博物館からバスに乗って夕張駅にやって来ました。レースイリゾート前というバス停で降ります。夕張駅前というバス停は存在しません。
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すぐそばにかわいらしい駅舎があります。 1990年にこの場所に移転されたようで、私の記憶とは場所も形も違います。 ホームが見えるのでそちらに行ってみます。
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待合室は駅舎の一部分です。残りのスペースは喫茶店と売店跡のようです。
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ドアを開けるとホームが少し先にあります。
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新夕張方です。
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車止め方と駅名標です。確かに終点の駅です。 次の16:31発の列車に乗りたいのですが、40分以上も時間があります。
予定を変更して、線路沿いの道を歩いてお昼に行けなかった鹿ノ谷駅に行きます。 少し歩くと写真の「鹿ノ谷」の標識が見えるのですが、ここからが遠かったです。
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途中に「ファッション踏切」という踏切がありました。 この場所に似つかわしくない名前のように感じますが、昔はかなり栄えた街ですので、何か歴史がありそうです。(ググってみると近くに洋裁学校があったらしいです。)
ファッション踏切から線路を離れてしばらく歩きます。 途中に鹿の谷浴場と書かれた閉鎖された建物がありました。公衆浴場だったのでしょうか。 昔は夜行列車に泊まって道内の色んな街の銭湯を巡ったことを、ふと思い出しました。
やっと鹿ノ谷駅に着きました。
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駅舎内は殺風景です。
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16:20発の2631Dで夕張駅に戻ることにします。夕張駅まで170円です。 スマホで調べると夕張駅には16:23に到着予定です。折り返しの2632Dは夕張駅16:31発ですから、8分で折り返すことになります。
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駅舎と駅名標です。
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それぞれ新夕張方と夕張方の写真です。
すぐに夕張行きが入線してきました。こちらに来るときに乗ったキハ40-358でした。 座席は半分以上が埋まっている感じでした。 (写真の頭が切れてる。orz)
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夕張駅で1度下車して、エンド交換後の乗車待ちをしています。 殆どが折り返し乗車の乗客のようで、1名だけが先にホームで待っていました。 混雑のせいか、折り返しの16:31発の2632D千歳行きは5分ほど遅れての出発になりました。 あと、夕張支線は乗車券類の全回収をしているのですが、なんで無効印を持っていなんだ等々、エンド交換を待っている間の鉄道マニアの文句がうるさかったです。勘弁して欲しい・・・。
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新夕張駅に着きました。定刻より遅れての到着ですが、それでも発車時刻まで10分以上停車します。
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2面4線の駅で佇まいも立派な駅舎です。 外には懐かしい紅葉山の駅名標がありました。新夕張駅は1981年に紅葉山駅から駅名が変更されました。 ちなみに追分方の滝ノ上駅との間に十三里駅がありましたが、2016年3月26日に信号場になっています。
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2632Dとは南千歳駅でお別れです。この駅から快速エアポートで札幌駅に向かいます。
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札幌駅に着きました。乗車したのは5953M 快速エアポート185号 小樽行きでした。 編成は小樽←F-3202+F-3102でした。 今夜はすすきののカプセルホテルに泊まります。 (2日目その1/3へすすむ)
北海道’18.6 1日目 夕張編 2/3
(1日目その1/3へもどる) 夕鉄本社ターミナルからバスに乗って「夕張市石炭博物館」に向かいます。バスの車中から撮った鹿ノ沢駅です。 道の奥の方に駅舎が半分だけ写っています。
15分位で社光バス停に着きました。 バスの運転士さんによると、「石炭博物館」は更にこの先だそうです。
バスの運転士さんの言葉を信じて"この先"に行ってみます。 向こうにノボリのようなものが見えるので、とりあえずそっちの方に歩きます。
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一応、案内表示らしきものがあります。 案内に従って階段を降ります。
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階段を降りると足下が怪しそうな広場のようなところに出ました。コンクリートブロックの案内表示がここを歩けと言っているのですが、そのブロックが壊れており本当に信じて良いのか不安になります。 どうやら夕張市は公共交通機関の利用者は大事にしていないようで、そのうち鉄道だけでなく、バスも無くなるような気がします。(^^;
仕方が無いので、割れたコンクリートブロックの矢印に従って、足下に注意しながら広場を突っ切って歩きますが、広場を出たところで道が左右に分かれています。 右の道はトラ棒で通行止め表示がしてあるので左の道に行こうとしたのですが、右の道に立て看板があることに気がつきました。
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危なく道を外れるところでした。 もう少しわかりやすくならないものでしょうか。
ちなみにこの道の上に架かる橋は跨線橋だったそうで、今歩いている道が昔の線路ということになります。
安っぽくて、いまいち信頼して良いのかわからない案内表示に疑心暗鬼になりながらひたすら進みます。
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少し進むと左手が開けてきて、森の中に石炭の歴史村と書かれた何かが見えてきました。 何の「順路」かわかりませんが、とりあえず道は外れていないようです。
・・・、着きました。(^^; 10分位だと思いますが、とても長く感じました。 しかし、外から見ると何か思っていたよりもショボい建物です。入館料が大人1,080円であることは事前に調べていましたが、建物規模の割に入館料が高いように感じて、ちょっとイヤな予感がしました。
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内容は石炭の採掘に関する歴史の紹介や機材類の展示と、本物の坑道や石炭層の見学になります。
最初にイヤな予感がすると書いてしまいましたが、スミマセン、土下座をして謝ります。とても面白かったです。これだけの内容の施設だと1,080円は安いかもしれません。 今回は1時間足らずの見学時間でしたが、あと30分は時間が欲しかったです。
博物館出口は入口から離れた駐車場付近になります。 バス停に行くためには博物館入口付近に戻らないといけませんが、坑道に入るために途中でエレベーターを使って下降してきているので、階段を上って戻る必要があります。
今度はさすがにバス停まですんなりと戻れました。現在の時刻は15:15です。 博物館を見学して満足していたのですが、バスの出発待ちの車内で運転士さんから、現在は全く面影がないけど山の上まで家が立ち並んでいたとか、山にある木は坑道の支えに使うために松が植林されたとか、ここの石炭は火力が強すぎてストーブが壊れるので屑炭を混ぜて使ったとか、さらに面白いお話を伺い、お腹一杯状態になりました。 次はバスに乗って夕張駅に向かいます。 (1日目その3/3へすすむ)
北海道’18.6 1日目 夕張編 1/3
久々に北海道に来ています。今回は5日間の予定です。1日目は新千歳空港に着いた後、千歳駅からのスタートです。 千歳駅までは3865M快速エアポート101号で、小樽側からB-3204+B-3104編成でした。
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今日は夕張に行きます。石勝線夕張支線の来春の廃止が決まったと言うことで、せっかくこの時期に北海道に来たのだし行ってみることにしました。 千歳駅から10:38発の2629D夕張行きに乗ります。キハ40-358の単行運用です。
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途中の追分駅で撮ってみたキハ40-358です。
沿線はこんな感じで北海道だなぁと思います。
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ちょくちょく長時間停車をするので、なかなか前に進みません。 写真は川端駅です。駅名標の隣の駅名の部分に上貼りした跡がありますが、元々は追分駅との間に東追分駅がありました。しかし、2016年3月26日に信号場になっています。
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川端駅の駅舎の内部です。ストーブの撤去跡があります。
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途中にあれだけ停まっておいて夕張支線の起点となる新夕張駅はあっさりと発車し、写真は支線に入って1つ目の駅の沼ノ沢駅です。
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2つ目は南清水沢駅です。
沿線はこのような感じですが、車窓から見える範囲で家屋が点在しており秘境という感じはしないです。後からわかったのですが、夕張支線は清水沢駅-鹿ノ谷駅間だけが山の中を通るという感じがします。
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清水沢駅で千歳駅から乗車してきた2629Dとお別れをします。
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それぞれ夕張方と新夕張方です。
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ホームから駅舎まで少し離れています。大きな貨物ヤードがあったのでしょうか。 (追記:1987年までこの駅から分岐する私鉄線があったとのこと。(Wikiより。))
駅舎の遠景です。 写真を撮っているうちに社光(しゃこう)行きのバスが来たので慌てて乗りました。
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清水沢駅前バス停から10分位の黄色いハンカチロケ地前バス停で下車します。 来年廃止される夕張支線ですが、夕張駅から南清水沢駅の間はそれなりにバスの本数があります。これでは1日5往復の鉄道ではかないません。廃止に伴いバスダイヤも見直されるでしょうし、夕張支線が廃止になってもあまり困らないかもしれません。問題は鉄道より高いバス運賃ですが・・・。
目的地は「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」です。すぐに坂をのぼりつつ踏切を渡ります。
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踏切から見た夕張方と新夕張方です。北海道らしく真っ直ぐな線路が延びています。 今回はこのまま「想い出ひろば」に出発してしまったのですが、少し待てば2629Dの折り返しの2628Dが撮影できたのに迂闊でした。
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「想い出ひろば」までは案内表示があるので道に迷うことはありませんが、ちょっとした山登り的な坂道になっています。
施設の前はお花畑でした。
少し施設の中に入って振り返って見た写真です。 左の黄色い小屋が券売所です。お年寄りやJAFの会員には割引があるみたいです。 右の建物は売店&カフェです。それほど品数はなかったのですが、今回は「たんどら」というどら焼きを買いました。
奥の建物が展示場です。 閑古鳥が鳴いているわけではなくパラパラとお客さんが来ていました。年配の方ばかりですが。
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主な内容は映画「幸福の黄色いハンカチ」の解説とそれにまつわる展示です。 所要時間は30分ぐらいで、本当にじっくり見ても1時間は掛からない位です。 ちなみに映画の主演は高倉建さんで、倍賞千恵子さんや桃井かおりさん、武田鉄矢さんらが出演されています。寅さん役じゃない渥美清さんも観られます。ベタな展開の映画ですが、私は好きです。
次の社光行きのバスを鹿の谷駅前のバス停で捕まえようと「想い出ひろば」から歩き出したのですが、途中の郵便局でお金を引き出そうと入ったところ、ATMの操作に困っているおばあさんがいたので操作方法を教えてあげたりして時間が無くなり、写真の夕鉄本社ターミナルまでしか歩けませんでした。 お金やモノを操作パネルの上に積み上げるとパネルが反応しなくなるとおばあさんに何回教えても、次の操作の度に積み上げてしまい、「アレ?アレ?」と言って何度も同じところをタッチし続けてなかなか操作が進まないんですよね。さすがに全部代わりに操作してあげるのも気が引けますし、こちらも困ってしまいました。
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少し時間があるので、待合室で「たんどら」を食べます。 「たんどら」って、「石炭みたいなどら焼き」の略称でしょうか。
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割ってみると餡とクリームがサンドされていました。 普通のどら焼きよりもおいしいと思いました。
建物の裏表にバスの発着場がありますが、社光行きは道路側の1番乗り場になります。 次は社光バス停で降りて「夕張市石炭博物館」に行きます。 (1日目その2/3へすすむ)
木次線訪問
昨日の三江線の最終列車を見届けたあと、浜田市に移動して宿を取っています。 本来の予定ではやまぐち号に乗車する予定でしたが、車両不具合により牽引機がD51からDD51に変更になるということで急遽中止にしました。 そこで三江線の転換バスに乗り継いで江津から三次に抜けようと思ったのですが、疲れが溜まっていたのか目ざまし時計をセットしている最中に寝落ちしてしまい、寝過ごしてしまいました。(^^; ということで、プランCの木次線に乗車することにしました。「SLやまぐち号」の牽引機の変更について、公式ホームページには「心からお詫びします。」と書いてあるのですが、無手数料で払い戻しますとは書いていません。「SLやまぐち号」という列車名でお客さんを呼んでいるのですから、代わりにDD51で走らせれば良いというものでは無いと思います。
ちなみに昨日の江津発三次行きの最終列車は猪と衝撃して遅れたようで、公式ホームページでネタになっていました。ぶつかった猪は無事では済まなかったと思うのですが、都会の人でなければ猪は害獣そのものなので、可哀想とかいうメンタルは無いのでしょう。(猪による食害は本当に深刻です。)
木次線に向かう特急列車の車内から撮影した江津駅です。 駅名標から「江津本町」が消えています。
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昨日と今日の写真です。乗り換え案内が消されています。
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三江線の出発信号機はカバーを掛けられた上で横に向けられ、線路は枕木とフェンスで閉鎖されています。一般の人が通行する踏切なら理解できるのですが、なぜか「立入禁止」の看板まであります。 最終列車から1日と経ってませんが、三江線の痕跡が着々と消されています。
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宍道駅に到着しました。広島方面への乗り換え案内がありますが、急行「ちどり」が廃止された現在では、非現実的な案内かもしれません。
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宍道駅から木次線に入ります。木次線はこの駅が起点のようで0キロポストがあります。 時刻表に掲載されてる列車は少ないです。ただ、宍道口はまだ多い方で、木次、出雲横田と先に行くにつれ減っていきます。
写真は乗車した1445Dで、キハ120-206の単行運転です。
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終点の木次駅です。この駅ではきっぷの補充と駅スタンプの収集が目的です。 横断幕がありましたが、さすがに「ありがとう」と書いてあったらちょっとブラックですね。
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しばらくすると「奥出雲おろち号」がやってきました。指定席は満員でした。 記念ヘッドマークを取り付けているようです。 この列車も使用車両の車齢が怪しいので、近いうちにもう一度は乗車したいと思っています。
「奥出雲おろち号」に先んじて木次駅に到着した出雲横田駅からの1448Dです。トップナンバーのキハ120-1でした。このあと、備後落合方に首都圏色のキハ120-208を締め切り扱いで連結して、宍道駅に向かいます。このとき、車両同士を連結するだけで幌はつなぎません。
1448Dに乗って再び宍道駅に到着です。 1448Dは折り返して備後落合行きの1449Dになりますが、今度はこれに乗車します。1449Dは宍道駅まで乗車したキハ120-1が締め切り扱いになり、折り返して先頭になるキハ120-208に乗客を乗せて出発しました。 実はこの日の1449Dがもの凄い混雑で、出雲大東駅から積み残しが発生しそうになり、後部のキハ120-1と幌で連結して乗客を乗せることになりました。この手配で約20分の遅延が発生しました。
混雑の原因はこれかなぁと。 木次駅の雲南市桜まつりには一週間早いのですが、沿線の桜は満開でものすごく綺麗でした。 日本人ではなさそうな方が多かったのですが、こんな地方にも来るんですね。 列車内の大混雑は木次駅で多少解消されました。
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出雲三成駅で三江線の江津発三次行きの最終列車に充当されていた車両の返却回送列車と行き違いがありました。宍道方からキハ120-311,317でした。 追記:木次線を経由すると山陰本線上で車両の前後が入れ替わってしまいますが、ネットの情報では米子の転車台を使って方転されたようです。
出雲横田駅で後ろにつないでいたキハ120-1を切り離し、単行で出雲坂根駅に到着しました。遅延は約15分でした。 この駅で「奥出雲おろち号」と行き違いをします。そのための待ち時間でこの15分の遅延は吸収できたはずなのですが、肝心の「奥出雲おろち号」が約30分遅れているとのことでした。orz
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駅舎と時刻表です。「奥出雲おろち号」を除くと1日3往復です。
前回は駅の向かいの水汲み場まで行きましたが、延命水は駅舎のそばでも飲めます。
出店で買った食料を食べていると、スイッチバックに向かう「奥出雲おろち号」が上の方に見えました。
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「奥出雲おろち号」がスイッチバックを下って来ました。こちらもすぐに出発です。
35分遅れで出雲坂根駅と「奥出雲おろち号」を後にしました。
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スイッチバックのスノーシェルターに向かいます。線路はシェルターを出てからも先に伸びています。
奥には4両の停車標識がありますが、最大で5両は停車できそうです。
備後落合方の展望です。信号機の現示が変わるのを待ちます。
分岐器が転換されて進行現示になりました。出発です。
隣の三井野原駅までの上り勾配を進みます。この先にある勾配標には30.0‰と書かれています。
木次線の商売敵?の奥出雲おろちループ(国道314号)です。
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32分遅れで備後落合駅に到着です。この駅で接続待ちをしていた新見行きの444Dに乗り換えます。 (座席の確保のためにまともな写真が撮れていません。) 444Dは14:37発ですが、約30分遅れで出発しました。
やっと新見駅に到着しました。遅れは回復することなくそのままでしたが、何とか乗り継ぎの特急列車に間に合いました。 これで木次線の乗車記録は終わりです。しかし、今日は宍道からの1449Dの混雑で落ち着かなかったです。木次までは本当に激混みでしたし。まぁ、木次駅と出雲横田駅の駅スタンプが回収できたのでヨシとしましょう。 今度こそはやまぐち号に乗車したいと思います。 それでは。<(_)>
さよなら三江線2
三江線最終日の続きになります。 江津駅にて、発着する三江線の列車を見送ります。江津駅発の三江線最終列車(浜原行き)の発車予定時刻まで25分ほどですが、意外と人はいません。
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19:08分発の浜原行きが、この駅を出る三江線の最終列車9431Dになります。
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三次発の9428Dが予定の18:57を10分ほど遅れて到着です。 これが折り返して、最終の9431Dになります。車番は浜原←キハ120-312,316でした。
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最終列車ですが、車内には結構な余裕があります。ホームにいる報道陣や見送りの人達の方が多いくらいでした。 定刻から5分ほど遅れていよいよ発車のアナウンスです。 長い汽笛を鳴らしてから列車が動き出し、蛍の光が流れる中を浜原駅までのラストランに出発していきました。
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浜原行きを見送った後、三江線特需なのか駅の近くの大阪王将が夜の営業を打ち切っており、モスバーガーで夕食をとりました。しかし、モスバーガーは値段が激高ですね。大しておいしくないですし。これでは経営が傾いても仕方が無いと思います。(個人の感想です。(^^;) 食事を取って21:15位に駅に戻ると、コンコースやホームには報道陣やらで人がいっぱいでした。 ほとんどが21:27に到着する三次からの三江線最終列車(9430D)を待つ人たちなんでしょう。 もう、江津駅を出発する三江線の列車はありませんので、この9430Dが営業列車としては三江線の本当の最終列車となります。(三次駅や浜原駅へのほかの最終列車も、定刻運転ならもう到着している時刻です。)
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時間が経つにつれて更に増えた人でごった返すホームに9430Dが25分遅れでやってきました。 車番は江津←キハ120-307,308でした。
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これで、三江線の営業は終わってしまいました。 写真は到着直後のホームの状態ですが、ゆるキャラの頭が・・・。ww
何とか先頭車両を撮りましたが、これ以上は車両に近づけません。
花束贈呈が行われていると思われますが、全く見えません・・・。
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到着した最終列車は22:05頃に浜田方面に出発しました。 長い汽笛の後、列車は心持ちゆっくりと動きだし、定番の「ありがとー!」の声の中、夜の闇に消えていきました。
今夜の宿の関係もありそのまま浜田駅にやってきています。 浜田駅の出札機上の運賃表はすでに三江線が消されており、三江線の廃線を実感してしまいました。
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0:05頃、江津駅での喧噪が嘘のように静まりかえった浜田駅の3番乗り場に、三江線の浜原止まりの最終列車をつないだ4両の回送列車が入ってきました。これが本当に三江線を走った最後の列車になってしまいました。 (浜田←キハ120-319,314,316,312→浜原)
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ほどなく列車はひっそりと車両基地に折り返して行きました。 添乗していた乗務員さんの首にはレイがかけられたままでしたが、仕事で乗務しているといっても、乗務員さんも仕事以外の何かを感じていたのかもしれません。 これで三江線最終日の記録は終わりです。子供の頃からの三江線の旅での出来事は大切な思い出の一つだったので、実を言うとかなり凹んでいます。立ち直るには少し時間がかかりそうです。 それでは。<(_)>
さよなら三江線1
本日で三江線の鉄道営業が終了します。いても立ってもいられず、江津駅で旗を振ってきました。(旗は駅で配られたものです。)
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午前中は鳥取砂丘にリベンジしてきました。(前回は大雨でした。)
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朝だったので風紋が美しく残っていました。時間が経って観光客が多くなると足跡だらけになります。
前回は降雨のため休業していたラクダにも乗りました。
ラクダを満喫した後、江津駅に移動です。
江津駅に着いた後、三江線のきっぷを買いました。 実際は今日1日しか使えませんが、払戻期間の関係か有効期間は4月1日までとなっています。
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路線図と時刻表です。明日には無くなってしまうんですね。
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14:33頃に浜田方から回送列車が入線し、折り返して引き上げ線に入っていきました。 車番は三次方からキハ120-314,319です。この後の9427Dに充当されます。
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続いて、石見川本始発の9426Dが15:55に11分ほど遅れて到着しました。 先頭から木次線色,芸備線色,神楽ラッピングの3両編成(江津←キハ120-5,325,310)でした。
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9426Dが回送車となり発車した後、入線を待つ人でごった返す乗り場に三次行きの9427Dが入ってきました。
定刻の15:15から6~7分遅れて出発です。三江線は右に分かれて進みます。
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途中の千金駅です。地元の方もお出迎えです。
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今回は江津からちょうど7kmの川平駅で下車しました。
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珍しく駅舎然とした建物が残る駅です。
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駅舎の入り口の右に立つバス停は、明日からの転換バスのものです。
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江津駅まで徒歩で帰ります。 のんびりしすぎて、千金駅の手前で三次行き最終列車を撮り損ねました。orz 車番は三次←キハ120-317,311だったようです。
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しばし列車が来ないので、ひっそりとする千金駅です。
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駅の近くにいた牛さんとヤギさんです。のどかです。 このあと、牛さんは近くの牛舎まで道路上を牽かれて歩いていました。
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しばらく歩いて江津本町駅に着きました。 ホームが道路と同じ高さにあるので、知らないと鉄道駅とはわからないです。
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それぞれ江津方と三次方です。
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普段の運動不足が祟って痛む足を引きずりながら、明るいうちに江津駅まで戻ってこられました。 駅前では号外を配っており、特別編集の新聞も販売されていました。
江津駅構内をウロウロしていたタヌキの写真で、一旦、中締めです。
三江線[2]記念入場券
日付が変わり、「ありがとう三江線記念入場券セット」の発売日になりました。 窓口が開いてすぐに発売されると思い込んでいたのですが、昨晩に宿でJR西日本のホームページを見直すと発売が10:30からとあり、朝の福塩線で福山方面に出るプランが破綻してしまったので、急遽予定を変更して三江線で江津駅か浜田駅に行って買う予定にしました。 早朝の三次駅は窓口が開いていませんので、あらかじめ買ってある福塩線の乗車券の乗車変更はどこかの駅でしてもらうことにします。時間は5:15で、夜明け前の三次駅です。わかりづらいですが、すでに駅の入り口付近に20人以上が並んでいます。おそらく入場券を買う人の列なんでしょう。今回のような限定品のきっぷ類を買うことについては余り経験がないのですが、これが普通なのでしょうか。暖房の効かない宿でHPを削り取られて死亡直前の私にとって、西三次駅からここまで歩いてくるのも大変だったのに、この寒い中を今から5時間以上も並んで待つなんてできません。
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浜田行きの422D(江津から379D)は5:38発です。5:25位に広島方から入線してきました。編成は昨日乗った427Dと同じです。(キハ120-315 313→浜田)ホームの電光掲示板は江津行きですが、列車の方向幕や案内放送は浜田行きになっていました。 今日から青春18きっぷが使える日なので着席できるか心配していたのですが、ボックス席に座れました。最終的に席に余裕がある状態での発車となりましたが、ボックス席でわざと足を投げ出したり、荷物を置いたりして他の乗客を寄せ付けないようにしている鉄道マニア風の人達が悪目立ちしていました。先日の三江線の車内ではマイクや機材で席を使えなくしている音鉄も見かけましたが、やっぱり鉄道マニアって嫌われるよねと思いました。まぁ、一部の人達なんですが、それが目立つんですよね。
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外は真っ暗なまま口羽駅に到着です。6:35着7:03発で30分ほど停車します。 駅舎はイルミネーションで飾られていました。駅舎の横では、こんな時間なのに三江線グッズの屋台が出ていました。お疲れ様です。
話が前後しますが、口羽駅に到着するとすぐに反対のホームから浜原始発の三次行き421D(キハ120-314)が発車していきました。単行で車内はガラガラでした。
発車時間近くの7時になるとさすがに明るくなってきました。
宇都井駅です。この駅で10人くらいの人が降りていきました。
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石見都賀駅付近です。屋根には少し雪が残っています。 そういえば三江線沿線は赤茶色系の屋根の家が多いですね。
沢谷駅付近の写真です。 手前のトンネルを出てすぐは雪国のようでしたが、駅の辺りはそれほどでもなかったです。
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浜原駅です。江津駅から来た423Dと交換します。車内は混雑しているようには見えませんでした。 編成はキハ120-307 308→三次でした。三次駅で折り返してあの有名な?424D(→426D)になります。
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ゆっくりと走って先日の謎の15分が印象に残る石見川本駅に到着です。公式ホームページでは午後の窓口閉鎖時間が14:10~15:30と変わりありませんが、現在も15:45に開くのでしょうか。
列車はまだまだゆっくりと走り、再びの鹿賀駅です。ここまで浜原駅から約50分かかりました。クルマだともっと早く移動できるんですけどね。
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これまでと同じ江の川沿いではあるのですが、田津駅くらいから山間の狭いところを走る感じになります。速度は相変わらずゆっくりです。(1枚目の写真は川戸駅付近の江の川の支流です。) 今回は写真を撮っていませんが、三江線は浜原を過ぎると堤防を突き抜けるために陸閘というゲートを何度かくぐることに気がつきます。おそらく堤防をかさ上げしたからだと思いますが、治水に相当な苦労をしていることが想像できます。
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江津駅の手前の江津本町駅です。本町という名に似合わない駅っぷりです。 駅を出発して短いトンネルをくぐってみると・・・。
トンネルの向こう側には大きな集落がありました。 江津駅から1.1kmと近いのですが、わざわざ本町という駅を作るくらいに栄えていたことがうかがえます。駅の寂れ方を見ると、集落が衰退したのかクルマ社会になったのかその両方なのか・・・。
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やっと江津駅に到着です。ここで30分以上も停車します。(9:31着10:08発) 乗客はほぼ全員が降りてしまいました。私も降りて記念入場券をこの駅で買おうか迷いましたが、発売まで1時間近くあるので、このまま浜田駅まで行くことにしました。発車まで時間があるので駅の窓口で乗車券の乗車変更をお願いして、残りの時間で駅構内の写真を撮ることにしました。
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三江線の列車の向こうに見える0キロポストです。 三江線が廃止になると撤去されてしまうんでしょうね。
山陰本線の駅名標はオレンジですが、三江線の駅名標はスカイブルーで頑張っています。 これも撤去対象なんでしょう。
跨線橋の駅舎側にある案内表示です。石見川本・三次の表示があります。
以前に撮った写真と同じアングルですが、三江線への分岐はホームを出てすぐです。
長時間停車の後に379Dと列車番号を変えて浜田駅に出発しました。 浜田駅まではこれがおまえの本当の実力か!と叫んでしまうくらいにキハ120が疾走します。ww 併走するクルマを追い抜くという、三江線内では考えられない体験ができました。
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途中の波子駅で、浜田方面から来る交換予定の快速列車が遅れたために、浜田駅には3分遅れでの到着となりました。遅れ時分を入れると三次駅を出て5時間1分の長旅でした。
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さて、時間は10:40になっており、記念入場券の発売時間を過ぎています。 橋上駅舎に上がると300人位の長蛇の列でした。1人10セットまでの購入制限がありましたが、幼児やバイトを駆使してドカ買いする転売屋とかもいて本当に買えるのか不安になりつつ、1時間以上待って何とか買えました。最終的にお昼過ぎには列も解消し、売り切れにはなっていませんでしたが・・・。それでも、健康上の理由もあって(^^;朝の5時から並ぶよりかはマシだと思いました。あと、JRの人が並んでいる人に使い捨てカイロを配ってくれており恐縮しました。 2枚目の写真は家に帰ってから撮ったものです。台紙は3つ折りになっていて、それぞれの駅に設定されている神楽のイラストが描かれたきっぷを収める凹みが有り、これに入場券を差し込んでいきます。入場券にはキハ120のイラストが背景に描かれています。個人的には無地にしてくれた方が好みでした。
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目的のモノが買えたので、駅スタンプを押してから浜田駅を見て回りました。 写真はそれぞれ益田方と米子方です。 ブルートレインに憧れを抱いていた世代なので、浜田駅というと寝台特急「出雲」がすぐに思い浮かびます。 寝台特急の終着駅になっていたくらいなのでもっと大きな駅を勝手にイメージしていたのですが、単純な2面3線の駅でした。Wikipediaによると駅の北側の医療センターは貨物駅の跡地と言うことなので、昔はもっと大きな構内だったようです。米子方の遠くに見えるのは浜田鉄道部の車両基地でしょうか。
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浜田駅の駅舎と駅前広場の時計台です。12時になると時計台の人形が神楽を披露していました。
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記念入場券の購入に時間がかかってしまって予定していた大阪行きの高速バスに乗れなかったので、広島駅経由で帰ることにします。広島駅行きの高速バスは駅前から毎時1本が出ています。浜田駅からは数人が乗車し、途中のバス停からも何人かが乗ってきましたが、それでもガラガラでした。混むときはかなり混雑する路線らしいのですが。ちなみに座席は自由席で、きっぷは浜田駅内のセブンイレブンやみどりの窓口で買えますし、降りるときに現金で払っても構いません。ICカードを使っている人もいましたが、何のカードに対応しているのか分かりませんでした。 写真は途中の県境のパーキングエリアで撮りました。さすがに雪がかなり残っています。
広島バスセンターから広島駅新幹線口までの交通渋滞(これも恒例かな?)で10分ほど遅れて到着しました。(というより道が空いていたにもかかわらず、途中の高速道のバス停の出発時間からしてちょっとずつ遅れていたのですが。)広島バスセンターの前に新白鳥駅の側を通るので、そこで降ろしてくれたら渋滞が回避できて便利なんですけどね。
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おみやげは再びしまねっこになりましたが、ゆずっこなるモノも見つけました。 ただし、ゆずっこは商品名のようで、ラベルのキャラクターは空runちゃんとゆずきちゃんというみたいです。 これで今回の外出記録は終わりです。これを最後に今年度は遠出をせずに冬眠するつもりです。 それでは。<(_)>
三江線[1]江平駅他訪問
JR西日本のホームページで12月10日(日)に「ありがとう三江線記念入場券セット」という三江線全駅の入場券のセットが発売されるとアナウンスがありましたが、三次・江津・浜田の3駅でしか発売されないということで、買い出しに行ってきました。とりあえず、前日の9日(土)に現地入りしました。高速バスの三次ワインライナーでお昼過ぎに三次駅に到着です。宝塚辺りの恒例の渋滞で西宮ICでは20分遅れでしたが、結局は3分遅れでの到着になりました。遅れの回復力は途中に停まる降車バス停の数(降りる人がいないと通過)や降りる人の数に大きく左右されそうなダイヤなので、いつもここまで回復できるとは限らないと思います。
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自由通路から写真を撮ってみました。 1枚目の写真の分岐後に坂を上がって、右に曲がっている線路が三江線です。 2枚目の写真は留置線でお休みしているキハ120-315です。夏に来たときのように午後の口羽行きの428Dに充当されるのかと思いましたが、本日は違いました。
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428Dの先回りをするために、備北交通バスの都賀都橋行きに乗り、丹渡バス停で降車しました。バス停の標識は背の低いポール状になっており、初見だと見落としそうです。降りてすぐの江の川を渡る橋の向こうに江平駅が見えます。 国道54号から便坂トンネルを抜けてすぐは雪国状態になっており、雪中装備を持ってこなかったのでどうしようかと思いましたが、江の川まで下りてくると降雪の痕跡はほとんど分からなくなっており一安心しました。
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江平駅です。ちなみに橋は赤いトラス橋です。
駅の写真を撮っていると口羽方面からの臨時列車が通過しました。車番は312の単行です。方向幕をよく見ると団体と表示されています。駅に居合わせた人の情報によると、さっきもキハ120が口羽方面に走って行ったそうです。その折り返しなのかも知れません。
歩いて作木口駅に移動している途中に川の駅がありました。トイレもあり便利そうです。場所は便坂から下りてきて江の川に出たところになります。最寄りのバス停は港別です。ここがこの辺りの集落の中心部のようです。
江の川沿いに少し歩くとまた赤い橋が見えました。その渡った先に作木口駅があります。
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作木口駅です。汲み取り式のトイレもあります。
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名所案内がありました。 「ハイキングキャンプによい」とコメントが入っており、本当に案内してくれています。(こういうのって場所と距離だけ書いているという印象が強くてそう思いました。)
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橋を渡り直して対岸で待ち構えていると、口羽行きの428Dがやってきました。写真は作木口駅を出発した直後です。今日は2両編成でした。お客さんはあまり乗っていないようです。
後打ち写真です。速度制限がかかっているようで、かなりゆっくりと走って行きました。
20分ほどで427Dになって戻ってきました。これに乗って三次駅に戻ります。 本当はこの列車を撮影してからバスで三次駅に戻るつもりでしたが、余りにもゆっくり走っている姿を見て気が変わりました。 人にはおすすめできませんが、シャッターを切ってから作木口駅まで激走したら何とか間に合ってしまいました。(^^; 427Dはキハ120-313 315→三次の2両編成です。ボックス席は空いていませんでしたが座るのは余裕でした。 降りるときに気がついたのですが、同じ区間でも三江線よりバスの方が運賃が高かったです。こんな感じでバス転換をされると三江線を使っている人は大変だなと思いました。(利用者は少数かも知れませんが・・・。)
途中の式敷駅では先ほど江平駅を通過したキハ120-312に会いました。方向幕は回送表示になっています。 三次駅からの回送でしょうか。三次駅ですぐに折り返せば時間的には矛盾はないですが、本当のところはどうなんでしょう・・・。
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先日の夜明け前に下車した船佐駅を通りました。真っ暗だったのでまったく分かりませんでしたが、こうして見るとかなり広い駅前ですね。
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三次駅に到着しました。すぐに427Dと同じ乗り場の三次方に広島行きの1869Dが入線してきました。思わず連結するのか?と思うくらい近くまで接近しましたが違っていました。
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1869Dはキハ120-326 333→広島でした。おめでたい?333のぞろ目です。 よく見ると、どちらも車番の書体を変更した痕跡が残っています。
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三次駅を出発すると、すぐにお隣の西三次駅に到着です。
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広島方と三次方です。だだっ広い構内です。 Wikipediaによるとこの西三次駅は1915年に東広島からの芸備鉄道の終端駅として三次駅を名乗って開業し、1922年に塩町駅まで延伸され途中駅になり、1954年に隣の備後十日市駅に三次駅の名前を譲り東三次駅へと改称し、1986年まで芸備線内において最後の貨物駅として残っていたとのことです。とても歴史のある駅で、構内が広いことにも納得がいきます。 ホームの三次方に広島方面行きの線路を渡る形で駅舎への踏切がありますが、広島方面行きの列車が踏切上を通ってホームに入線しても鳴り止まず、列車が発車してホームにいなくなった後に鳴り止むので、食パンをくわえてぎりぎりで広島方面行きの列車に乗りたい人にとっては困ったことになっています。
無人駅ですが立派な駅舎です。 今夜はこの駅の近くで宿を取り、明日は三次駅で記念入場券を買う予定です。
三江線(2)長谷駅他訪問
昨日はINAKAイルミに行きましたが、折角なのでもう少し三江線を撮っておこうとウロウロしました。![]()
3時に起きて尾関山駅までやってきました。 今朝は結構な霧が出ています。
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5:41分発浜田行きの422Dが狙いです。狙いと言っても撮影ではなくて乗車です。 乗客は40人足らずで、席は空いていました。編成は、浜田←キハ120-321 313でした。
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列車は自転車と良い勝負ではと思うくらいゆっくりと走り、20分足らずで船佐駅に到着です。 船佐駅の駅前の写真を撮りましたが、何も写りません。(^^;
さて、江の川沿いを三次方面に歩いて戻ります。
30分ほど歩くと目的地の長谷駅に着きました。さっき乗った列車は長谷駅を通過してしまうのです。 着いたときはまだ暗かったので、写真は明るくなってから撮りました。
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想像していたよりも立派な佇まいです。
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待合室です。かなり広いです。Wikipediaに依ると、このあたりの廃校になった学校に通っていた生徒が三次方面の学校に通うために設置された駅ということで、当時のこの待合室にはこども達がたくさんいたのかもしれません。(設置は昭和44年とのこと。)昔のダイヤは調べていませんが、現在は1日5本しか停まりません。三江線内で唯一通過列車が設定されている駅で、最も列車本数が少ない駅です。
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三次方と江津方です。
ホームの江津方には床に木の板を敷いた箇所があります。穴でも開いたのでしょうか。
さらに江津方には、フェンスの向こうに昔のホームと思われる構造物があります。 だとしたら元は結構な有効長だったようです。
浜原始発の421Dが定刻の7:19にキハ120-312の単行でやってきました。これに乗車します。 平日の朝なのにこの駅から乗った人は他にはいませんでした。残念ながらこの駅の役割はもう終わっているのかもしれません。 乗客は15人くらいで、学生さんがちらほらと行った感じです。半分以上は観光客だと思います。
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尾関山駅に戻ってきました。
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尾関山駅の駅舎の写真です。玄関側とホーム側です。 次は香淀駅まで北上します。
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香淀駅に着きました。おしゃれな駅舎です。
ホーム上の待合スペースは古びています。これが昔の姿だったのでしょう。
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三次方と江津方です。
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しばらくすると江津5:53発の423Dが鉄橋を渡ってやってきました。車番は前から309と314でした。 写真は残念ながら電線が被ってしまいました。
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三次駅に向けて香淀駅を定刻に出発した423Dです。
さらに北上して浜原駅にやってきました。 途中、色づいた山々の間を流れる江の川の景色を楽しみました。 (綺麗すぎて写真を撮るのも忘れていました。)
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江津方と三次方です。車両の姿はありません。
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駅前の全通記念の碑とホームの「ありがとう」横断幕です。何だか対照的です。
少し逆戻りになりますが、近くの浜原ダムにやってきました。 地元の人の話では、このダムができてから鮎が捕れなくなったとのことでしたが・・・。
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近くに行くと明塚発電所竣工記念碑がありました。なんだかんだ言ってもこのダムにもそれなりの使命があったのでしょう。(明塚発電所には浜原ダムから送水しています。)
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粕淵駅まで戻ってきました。 商工会館が併設されており立派な建物です。 窓口の営業も委託されているようで、平日の日中はきっぷが買えます。
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三次方と江津方です。駅はカーブの途中に位置します。
ホームの駅舎側です。昔は交換可能駅だったようです。
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歩いてすぐのところに江川第一橋梁があります。 この鉄橋は歩道が併設されており、線路の横を歩いて川を渡れます。 歩道は鉄板製で、ところどころに穴が開いていたりしますが・・・。
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待っていると最混雑列車で名高い石見川本行きの424Dがやってきました。 遅れて来ることを覚悟していましたが意外にも定刻でした。
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車番は前から314と309です。先ほど香淀駅で撮った423Dの折り返しです。 車内は寿司詰めという感じではなかったようですが、詳しくは分かりませんでした。
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帰りは出雲大社に寄りました。 しめ縄がデカい。ww
しまねっこの頭についているのはこれみたいですね。
所々にかわいらしいウサギさんがいます。探して上げて下さい。
最後に一畑電車の電鉄出雲市駅で撮った最新車両の7000系です。 前から7002と7001のペアでした。
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さてさてお土産ですが、梅しそ番茶とねこまんまの味噌味と野菜白湯味です。 ねこまんまはアルファ化米使用と書いてあるのでお湯で戻して食べるようですね。 後は定番の出雲そばです。
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最後にINAKAイルミ会場で買った日和高原ミルクジャムと紫蘇羊羹です。 羊羹には「ありがとう三江線 さようなら三江線」と書いた紙が入っており、もうすぐ廃線になるんだなぁと改めて思います。仕方ないこととは言え、記憶のピースが消えていくのは寂しいものですね。 これで今回の三江線紀行?は終わりです。 それでは。<(_)>