再生産された98037 JR キハ120-300形ディーゼルカー(三江線)セットが入線しました。 廃線を控えての需要増を見込んだ上での再生産でしょう。 廃線といっても、このカラーのキハ120は山陰本線の運用にも就いているので、仕事場が全く無くなってしまうわけではないのですが。 付属品はライトON/OFF用のドライバーが1本でした。 行き先は「江津」、車番は311(M)と317です。現行仕様と言うことでトイレ付きです。 行き先については、このあとサードパーティー製のステッカーを使って変更します。 屋根です。同じキハ120形でも、関西線の現行仕様のような変なアンテナは付いていません。 ヘッドライト、室内灯とも最初期の製品(ヘッドライトはオレンジ色LED、室内灯は電球)から改良されていますが、なぜかヘッドライトが白色です。これは行き先表示を変更するときにライトユニットを外しますので、一緒に改修します。 室内灯ユニットはライトプリズムが廃され、チップLEDが分散光源として用いられています。また、室内灯ユニットの基板は片側のみの支持になっており、もう一方は浮いているという思い切った(?)設計です。 ライトユニットの形状は昔のままですが、行き先とワンマン表示が印刷されています。 早速、製品をいじってみます。先ずは行き先表示の変更です。富士川車両工業製のステッカーを使います。キハ120用に数種類が発売されていますが、三江線用がラインナップされていますのでこれを使いました。 収録内容は、 前面ガラス全体(行き先・ワンマン表示共) ・出雲市,浜田,益田(ローマ字表記共) 各2個 行き先 ・出雲市,太田市,江津,浜田,益田,三次,口羽,浜原,石見川本,試運転,回送 各5個 ・出雲市,太田市,仁万,江津,浜田,益田,三次,口羽,浜原(ローマ字表記共) 各5個 その他 ・優先座席 9個 ・ステップに立たないで下さい。 24個 ・指づめ喚起表示(左右) 各28個 です。細かな文字はつぶれて印刷されていますので、想像で書いています。 説明書にはステッカーを貼る位置が図示されていますが、不正確な部分があります。実車は指づめ喚起表示の指マークがドア中央側に向いています。(室内に貼るならドア外側向きですが、そんな人は少ないでしょう。)また、優先座席表示は窓の上半分の中央付近が正しい位置です。あと、細かい話ですが、三江線神楽号(キハ120-310)の指づめ喚起表示は指先に×印がなく三角印です。位置等は車両によって異なることがあるかもしれませんので、実車の調査が必要です。(追記:指づめ喚起表示ですが、車両によって外を向いていたり、中を向いていたり、×印だったり、三角印だったり、▲印が白だったり赤だったり、同じ車両でもドアによって異なったりしているので、実車の調査が必要です。優先座席表示の位置は一定のようですが・・・。) 前面ガラス用ステッカーをこんな感じで用意します。左右については、ボディの内寸似合わせてコンマ数ミリの余白を残して切り出しています。左右の余白はない方が見栄えが良くなります。行き先は「浜原(For Hamahara)」にしました。 追記 2018/07/11:後日、前面ガラス用ステッカーを他に転用したため「江津(For gotsu)」に戻しました。 次にヘッドライトのLEDを交換します。 ライトユニットを分解して基板上のチップLEDを白色から電球色に交換するだけです。といっても、チップLEDの光軸は前方に向ける必要がありますので、横倒しにしてハンダ付けします。今回は、TORM.製の室内灯基板の折り取った部分に付いていた電球色のチップLEDを再利用しました。当初、3mmの砲弾型LEDにしようと試みましたが、抵抗やコンデンサが邪魔でライトケース内に収まりませんでした。 以前に関西線仕様のキハ120をいじったときと同様に、ウレタンの切れ端を光の回り込み防止のためにライトユニット内の隙間に詰め込みます。このとき、ウレタンが基板より上にはみ出すと、ヘッドライトの光量が落ちてしまうので気をつける必要があります。 出来上がりはこんな形です。ヘッドライトが実車らしく電球色になりました。 なお、ステッカーはライトユニットには貼り付けずに、前面ガラスとライトユニットとの間に挟み込んで固定します。ライトユニットをボディーに戻すときにテールライトレンズがボディーの穴にうまく合わないときは、針の先で誘導してあげるとするりと入ります。 これで整備は終わりです。 来春には廃線になってしまう三江線ですが、当鉄道では末永く活躍してもらいたいと思います。 <(_)> (参考記事) TOMIX キハ120形(関西線) トイレ増設 TOMIX キハ120形(関西線) 室内灯・灯火類整備
2017年のアーカイブ
KATO 251系 床下機器取付
KATO オハフ33 ベンチレーター別パーツ化他
今回はKATOの35系客車をいじります。代表としてオハフ33についてベンチレーターの別パーツ化と色の塗り替え等をしてみます。 種車はKATO 5128-1 オハフ33茶 一般形です。ご存じの通りKATOのオハ35系はベンチレーターが屋根と一体化しており、一昔前のモデルのニオイを醸し出しております。 いきなりですが、ベンチレーターの切除とヤスリ掛けをして塗装を終えた屋根が写真の一番右に並べてあります。つや消しクリアを吹くと屋根布のような感じになり好印象です。これにTOMIXのPB6018 ガーラントベンチレーター(旧型客車用・8個入)を取り付けます。少々きついですが切除後の屋根の穴にベンチレーターの取付けダボがちょうど収まります。ついでに台車もTR23のコロ軸受けタイプに交換します。 写真の上から ・ベンチレータを取り付けた屋根(ベンチレーターは無塗装です。) ・青15号に塗り替えたボディー ・便所窓と洗面所窓を上段中折れ式でイメージして塗装した窓ガラスパーツ ・台車をTR23のコロ軸受けタイプに変更した床下 です。 ボディーは妻面の梯子を外して標記類を薄め液で消し、元の茶色の塗装の上から塗装しました。梯子(材質不明)は軟質プラだとやっかいなので、ミッチャクロンで下処理をしてから塗装しました。 今回は訳あってボディーの色を塗り替えていますが、仮にTOMIX製のオハ35系を塗り替える場合は窓ガラスに窓枠が印刷されているのでボディーと窓ガラスパーツの両方に塗装をする必要があり、今回のKATO製のようにお手軽にはできません。 塗料はF MODELSのFARBE010 青15号を使いましたが、KATO製の青色の旧型客車と並べるともう少し鮮やかに青みが出るように調色をした方が良かったかもしれません。艶はエアブラシで吹いたままの状態で問題はなかったです。 各パーツを組み上げた写真です。1枚目の写真の手前が洗面所窓ですが、上段は透明ガラス、下段を白色ガラスにしています。写っていませんが裏側の便所窓は上下段とも白色にしています。台車もコロ軸受けになっています。(交換前の台車は軸受箱が□形になっています。)あとはインレタを貼れば出来上がりです。 以上、天リウのオハフ33-7を作ったつもりです。このほかにも特定の車番をイメージしてあと何両か手を加える予定の車両がありますが、それはまた別の機会に・・・。 <(_)>
GREENMAX キハ54形500番代 入線
マイクローエースのキハ53-504に引き続き、グリーンマックスの30205 JR北海道キハ54形(500番代・留萌本線・元急行仕様)が入線しました。どちらも発売日が変更されて、北海道形同士で偶然にも近い日になりました。 付属品は幌×2,ドローバー2×1,ドローバー5(ロングタイプ)×1,ステッカー×2,修理依頼票×1です。幌は接着剤で取り付けとなっています。ドローバー2とかドローバー5は説明書の記載通りの表現で、長さを数字化しているようです。 ステッカーは色々収録されおり、マイクロエースのステッカーよりも微細に印刷されています。 収録内容は、 マーク各種 特別快速きたみ,礼文,大雪,ノサップ,しれとこ,はなさき ×各2 PEPPERMINT TRAIN,花咲線,Sohya NORTH LINE,SPECIALTY-LINE ×各4 前面方向幕 普通、急行,快速,釧路 ×各4 快速ノサップ 根室,快速はなさき 根室,快速ノサップ 釧路,快速はなさき 釧路 ×各4 前面用車番 501~529 (黒字)×各2 501~513,527~529 (白字)×各2 ワンマン 無表示 標記 無表示(黒地) ×4,ワンマン(白字緑地) ×6 在来車方向幕 普通(青字),普通(白字青地),急行(赤字),快速(赤字) ×各2 団体(青字),臨時(青字) ×各1 行先方向板 深川 マイタウン列車 ユーカラ 旭川(オレンジ色地),旭川 特別快速きたみ 北見,釧路 ⇔ 厚岸,釧路 ⇔ 茶内(オレンジ色地),釧路 ⇔ 川湯温泉,深川 ⇔ 幌加内,名寄 ⇔ 朱鞠内,釧路 ⇔ 摩周,網走 ⇔ 緑,知床斜里 ⇔ 網走 ×逆向きとセットで1 幌延,名寄,釧路,根室,留萌,網走,稚内,深川,増毛,上川,旭川 ×各2 旭川、稚内,網走 [ローマ字表記共]×各2 架線注意 架線注意 ×12 列車名愛称板 快速(白字青地),快速(青字),ワンマン前乗前降,前乗前降,特別快速きたみ,礼文,大雪,急行 ×各4 となっています。 車番はキハ54-527と528です。M車はキハ54-528に設定されています。 屋根上の部品は全て取り付け済みです。 床下機器は板状のパーツで一体表現されており、若干ですが立体感が乏しいです。 床下と床下機器パーツの接着が弱いので、取り扱いには気をつける必要があります。 1位側と2位側の前面です。連結器まわりはスカスカです。 鉄道コレクションのキハ54です。こちらの方が連結器まわりが賑やかです。orz 鉄コレと比べてみます。各写真の上が鉄コレ、下がグリーンマックス製です。 各部への色入れや、JRマークの形、帯の太さや色が異なります。 (鉄コレには列車無線アンテナをまだ取り付けていません。) 左がグリーンマック製です。グリーンマックス製の方が大ぶりな感じです。 ヘッドライトは綺麗な電球色です。 動力の音はディーゼルカーらしく大きめですが、スムーズに走ります。 ドローバーを使用しなくて済むようにTN化を考えたのですが、スカートとカプラーベースが接着されていて断念しました。ダミーカプラーが装備されている側も同様で、連結可能なカプラーへの変更ができず、このセットの2両編成から編成両数を増やすことも難しいです。また、ライト類は各車両の片エンドしか点灯しないので、単行運転にも向きません。カプラーまわりの表現もかなり稚拙で、もう少し頑張って欲しかったです。 それでは。<(_)> 参考記事:GREENMAX キハ54形500番代 TNカプラー化
MicroAce キハ53-504 入線
マイクローエースの「A6187 キハ53-504・急行色・縦雨樋なし」が入線しました。 付属品はシールが1枚と、ボディマウント伸縮アーノルドカプラーが1個です。 シールの収録内容は、種別表示が、 普通(紺地白文字),普通(黒文字),快速(赤文字),急行(赤文字),臨時(黒文字) 各3個 側面サボが、 深川-朱鞠内(白地黒文字),名寄-朱鞠内(白地黒文字),深川-朱鞠内-名寄(紺地白文字) 左右各3個 です。 2エンジン車だからか床下のエンジンまわりは両側とも同じですね。 それぞれ、左がキハ53-504、右がキハ53-507です。キハ53-507は同じくマイクロエースから以前に発売された製品です。 キハ53-504のヘッドライトリムには銀色が入っています。 カプラーは両端ともダミーで、スノープロウは複線用です。 同じくそれぞれ、手前がキハ53-504、奥がキハ53-507です。 縦樋の有無が分かるでしょうか。2枚目の写真の臭気窓の位置も違います。 キハ53-500番台には微妙に形態差があるので面白いです。 (違いが細かすぎて模型で再現し切れていない部分もあるようですが。) 奥と左がキハ53-504です。 ベンチレーターの塗り分け、屋根のねずみ色の部分の大きさと縁取りの朱色線も目立ちます。 前面表示器は明るすぎる白色です。ヘッドライトは電球色ではなく黄色に近いです。 走行は鈍重な感じがしますが、きちんとスローが効きます。 TOMIX車両との色の違いを比べてみました。左が今回のキハ53-504で、右がTOMIX車両です。 TOMIX車両の方がクリーム色も朱色も暗い感じがします。マイクロエース車は保存車両としてきれいに塗装された色で、一方、TOMIX車は働き続けて煤けた現役車両の色でしょうか。 現役時代は急行運用すら1両でこなした孤高の車両ですが、ときどきお世話になった深名線深川駅の朝一番の3両編成も記憶に残っています。 それでは。<(_)>
MicroAce タキ11000 前期型 手摺りの違い
MicroAce A-1354 タキ11000 前期型ですが、もう1セットが増備のために入線して、それを眺めていて今更ながら気付いたことがあるので書き残しておきます。 前期型セットは8両編成で、車番は11061 11007 11065 11020 11046 11042 11054 11066です。 そのうち11046と11042なのですが・・・、 それぞれの写真の左側の車両が11046(11042)なのですが、側面の手摺りが内側(車体中心側)に折れているのが分かるでしょうか。最初は手摺りを壊してしまったかと思ったのですが、保有するもう1セットも同じでしたので、これが正解なようです。 ネット上の実車の写真でも、折れている手摺りと折れていない手摺りが確認できました。 車番の設定次第では、すべて折れていない手摺りに揃えることもできたはずなのに、実に細かい造り分けをしています。マイクロエースらしいと言えばらしいのですが。 それでは。<(_)>
山陰めぐり4日目(その2) 鳥取砂丘
山陰めぐり旅行の4日目(その2)です。 夏休み期間とは言え通勤時間帯ですが、人がいません。 次の目的地は鳥取砂丘です。まず、快速アクアライナーで出雲市駅へ向かいます。 2両編成でした。山側のボックス席は日差しがきつく、人気がないようで空いていました。 出雲市駅に着きました。三江線と同じ色のキハ120がここまで出張してきています。 325D浜田行きです。編成は、浜田←キハ120-312 311(2両編成)でした。 ダイヤが乱れており、東京駅からのサンライズエクスプレスが遅れてやってきました。 やくも14号で米子駅に向かいます。 自由席は1両でしたが、出雲市駅を出た時点では、それほど混んでいませんでした。 対向列車の遅れで10分ほど遅れて米子駅に着きました。 この時間の鳥取方面への接続は余り良くありません。この間にお弁当を仕入れました。 次にスーパーまつかぜに乗って鳥取駅へ向かいます。指定席を予約しておいたのですが、自由席の確保は楽勝だったようで、もったいないことをしました。 お昼は蟹寿し弁当です。 車窓からは、やたらと風力発電の風車が見えました。 対向列車の遅れのために、20分以上遅れて鳥取駅に着きました。 最速の快速よりも遅い所要時間で特急料金を取られたのが何だか悔しいです。また、あらかじめ調べておいた路線バスの乗り継ぎの計画が台無しで、泣きっ面に蜂です。 鳥取駅の観光案内所で路線バスの時刻表をもらって、鳥取砂丘に向かいました。 終点の鳥取砂丘の手前の砂丘センター・展望台というところで降りましたが、大きなお土産屋さんと、?な展望台があり、順序としては砂丘に行ってから最後にここへ立ち寄るのが良いと思いました。 ここからは砂丘に降りるリフトが出ていますので、折角ですのでこれに乗ってみます。(歩いて降りても大した距離ではないです。また、リフトで上ることもできます。) 砂丘です。雨が降った後なので、砂が少し暗い色になっています。 砂丘自体はなかなかのものです。私の写真のウデではこの雄大さがお伝えできません。 雷が鳴り、スコールに降られたりして、余り写真が撮れていませんが、一番の心残りはラクダに乗れなかったことです。(天気が悪いとラクダが撤収してしまいます。) なんだかんだと言いつつ砂丘を堪能して鳥取駅に戻ってきました。 写真は今回訪問を見送った若桜鉄道のWT-3301 3004です。(1枚目がWT-3301です。) 次回はラクダのリベンジとともに、若桜鉄道も訪問してみたいと思います。 帰りはスーパーはくとに乗りました。鳥取駅を出た時点では定刻でした。 HOT7000系の1番前に乗るときは1C席がお勧めです。1A席は目の前に衝立があるので避けた方が良いです。 車窓からは大きな虹が見えていました。要は天気が不安定と言うことなのですが、智頭急行線内の信号トラブル(たぶん落雷が原因だと思います。)で、最終的には30分ほど遅れて運転されました。 さてお土産ですが、最近はご当地お茶漬けに嵌まっています。 あとは出雲蕎麦としじみごはんの素、梨ゼリーと梨キャラメルです。 あとでゆっくりと味わってみたいと思います。 これで3泊4日の山陰(一部山陽)めぐり旅行は終わりです。 <(_)> (その1へもどる)
山陰めぐり4日目(その1) 三江線2
山陰めぐり旅行の4日目(その1)です。 いよいよ最終日です。 まだ薄暗いうちに出発します。 15分ほど歩いて浜原駅に到着です。すでに明るくなってきています。 まだ6時にもなっていないからか、駅の周囲に人の気配はありません。 1番のりばには昨日乗車した車両が江津方面浜田行きとして停まっていました。昨日下車した後、三次駅まで1往復してこの駅で夜を越したのでしょう。 反対の2番のりばには三次行きが停まっていました。 どちらも始発列車になります。 先に三次行きが421Dとして5:56に発車しました。 ちなみに車番はキハ120-315です。 次は浜田行きの420Dの番です。6:20発です。こちらに乗車して江津駅まで行きます。 こちらの車番は前からキハ120-310 309です。 ラッピング車両の車内には各駅の愛称が掲示してありました。ちなみに浜原駅は大蛇です。 車内は運転士さん以外は無人です。 ディスプレイ表示された運賃表です。まだ金額は表示されていません。 あと半年ちょっとで、この尾関山-江津本町間の33駅が一気になくなってしまうんですね。大赤字路線とは言え、寂しいものです。 いよいよ出発です。 発車の間際にカメラを抱えた方が1名乗ってきました。 また江の川沿いをゆっくりと走って行きます。 三江線は本当に車窓風景が抜群なんですが、残念ながらお客さんがいません。 かなり道路に近接して走る箇所も多く、撮影ポイントがたくさんありそうです。 途中の石見川本駅で、三江線内では唯一の列車の待ち合わせをします。 やってきたのは江津発三次行きの423Dで、こちらの列車とは対照的にカメラを持った方で満員御礼でした。 (423Dは、三次←キハ120-316 317(2両編成)でした。) ただ、こちらも石見川本駅を過ぎるとぱらぱらとお客さんが乗ってきました。 三江線は堤防を貫いて走る場所があり、写真のような陸閘が設置されています。 恐らく三江線の開通後に堤防がかさ上げされたために設置されたのだと思います。 Wikipwdiaによると三江線には5箇所あるそうです。 鹿賀駅です。大昔ですが、一度下車したことがあります。 次の列車まで何もすることがなくて、ボーっとしていた記憶が残っています。 対岸に渡る橋など無かった頃の話です。 山岳地帯っぽいところを抜けると、川幅が広くなり海が近いことを感じます。 山陰本線の鉄橋が見えてきました。いよいよ三江線の起点となる江津駅に到着します。 営業キロで50.1kmのところを1時間52分かけて、江津駅に到着しました。 列車は375Dと列車番号を変えて浜田駅を目指しますが、ここで出雲市方面に乗り換えです。 1枚目の写真の右上に分岐している線路が三江線です。この眺めが見られるのも残り僅かです。 (3日目その2へもどる) (その2へつづく)
山陰めぐり3日目(その2) 三江線1
山陰めぐり旅行の3日目(その2)です。 次の三江線の口羽行きに乗ります。 きっぷはこの駅で買いました。江津までで1,940円でした。 江津までは108.1kmもあるので2日間有効となっています。 あと、途中の折り返し乗車用の宇都井→口羽間のきっぷも買いました。 先ほど撮影したキハ120-321が定刻の10分位前に入線してきました。 ボックス席には各々2人で、ロングシートに何人か座ってと言った感じで、混雑はしていませんでした。 三次駅を出発すると、列車は江の川沿いをゆっくりと進んでいきます。 作木口駅から島根県に入ります。やっと山陰めぐりに復帰です。ww まもなく口羽駅です。 終点の口羽駅に着きました。 列車は折り返しの三次行きになりますが、江津方面行きホームで出発を待ちます。 一旦、この駅で途中下車して、歩いて宇都井駅に向かいます。 今日のような平日は路線バスを乗り継ぐと口羽駅から宇都井駅までつながるのですが、時間があるので徒歩を選択しました。 江の川に向かって歩き出すと、すぐに三江線全通記念碑がありました。三江線は全通が昭和50年ですから、ローカル線としてはかなり新しい部類に入るのではないでしょうか。 江の川に架かる大きな橋を渡ります。 橋の途中が県境になっており、島根県から広島県に渡ります。 しばらく歩くと三江線の鉄橋が見えます。三江線はここで県境を越えます。 畑仕事中のお母さんに声をかけられたりしながら少し歩くと、伊賀和志駅が見えてきました。 普通の一面一線の駅です。 先はまだまだ長いので、休憩もそこそこに伊賀和志駅を後にします。 ひたすら江の川沿いを歩きます。 途中、三江線はほとんどトンネルの中を走っていますが、ときどきトンネルの合間の構造物が顔を出してます。 いきなりですが、宇都井駅近くの鉄橋までワープしました。(地元の方がクルマに乗せてくれました。ありがとうございました。) 三江線はこの鉄橋で再び島根県に入ります。(第3江川橋梁です。下部に歩道の遺構があります。この歩道ができる前は渡し船があったそうです。現在は近くに立派な橋があります。(2018/3/4追記)) 道路上の県境は鉄橋の少し先にあります。ここからまた島根県に入ります。 宇都井駅は1枚目の写真に写っている橋で江の川を渡った先にあります。 宇都井駅に着きました。 この時点で雨が降り出してきました。本当にクルマに乗せてくれた方に感謝です。 高いですね。エレベータはないです。入口の右にある建物はトイレです。ホームに上がる前に用を足しておきましょう。ホームに上がってから催すと偉い目に遭います。(経験者。。。www) 階段は116段だそうです。(面倒だったので数えていません。(^^;) 頑張って上ります。 階段の最上階の踊り場が待合室です。小綺麗な感じがします。どなたかが掃除をしているのでしょうか。 ダイヤは1日4往復の発着です。それでも芸備線や木次線の超閑散区間の3往復よりかは多いです。 それぞれ江津方と三次方です。 西側と東側です。集落があります。わざわざここに駅を作る理由はあったようです。 2枚目の写真の右側から小川にかかる小さな橋を渡ってこの駅に来ました。 ホームの端から下を見下ろすと、結構高くて怖かったです。天空の駅は伊達ではありません。 しばらく待っていると、三次行きが2両編成でやってきました。これで口羽駅に戻ります。 この429Dは、江津駅から三次駅まで乗り通せる貴重な列車ですので、かなりの乗客数でした。 編成は、三次←キハ120-309 310になります。 再び口羽駅にやってきました。列車だと汗だくで歩いた区間があっという間でした。 429Dはこの駅で浜原行きの432Dを待ち合わせます。2両編成の後ろはラッピング車両でした。 15分待ちで432Dがやってきました。(三次駅から乗車した車両と同じキハ120-321でした。)こちらの432Dも浜原駅で乗り換えるとその日のうちに江津駅まで出られるのですが、1両編成なのに意外にも座席には空きがありました。と言うかカメラを持って自主的に立っている人が多かっただけだったのかもしれませんが。ただ、浜原駅以遠は暗くなってしまうので、429Dよりかは人気がないのかもしれません。 口羽駅-浜原駅間は鉄道建設公団が完成させて三江線を全通させた区間らしく、味も素っ気もなくトンネルが多くなるのですが、それでもほぼ江の川沿いを走ります。また、列車の速度も若干速い気がします。 途中の石見都賀駅は思い出の駅で、昔この駅で降りて宿を取ったのですが、お茶を飲もうとしてポットの注ぎ口から蜘蛛が出てきたのはショッキングでした。 口羽駅から約40分で終点の浜原駅です。ここで途中下車して今日の行程は終わりです。 本日の宿はこんなところです。(カヌーの里おおち) 明日は三江線を江津駅に向かって乗車します。 (その1へもどる) (4日目へつづく)
山陰めぐり3日目(その1) 芸備線
山陰めぐり旅行の3日目(その1)です。 今日は芸備線と三江線が目的です。 朝5時頃の新見駅です。真っ暗です。 駅の窓口は開いていませんので、きっぷは前の日に買っておきました。 芸備線の始発列車の5:18発の快速です。(キハ120-334)今朝は終点の備後落合駅まで乗車します。 ちなみに「ワンマン」の表示の下に「快速」と書いた小さなプレートが取り付けられており、これは東城駅で運転士さんによって取り外されます。余りにも目立たないので、乗車時に気付く人がいたらすごいなと思いました。私は東城駅で取り外されるときにやっと気がつきました。 車内に地元の人らしき姿はなく、3人ほどカメラを持った方がいるだけでした。 昨日の大混雑は何だったんでしょう。 発車時は薄暗かったのですが、しばらくすると明るくなってきました。 途中、矢神駅に停車し、2つめの停車駅の東城駅で広島県に入ます。 東城駅を出ると、各駅に停まりながら終点の備後落合駅まで険しい山の中をゆっくりと進みます。 往年の要衝、備後落合駅に着きました。ここで芸備線の三次行きに乗り換えです。 (キハ120-320) 乗り換え時間は9分でした。その間に駅舎の写真を撮りました。 人影は見えず、昨日の賑やかさが嘘のようです。 備後落合からまた山の中を通りますが、こちらはそれほどでもなく、間もなく山間の田園風景となります。 備後落合を出たときはガラガラでしたが、三次に着くまでにはそれなりに乗客がいました。 三次駅では3分で広島行きの快速みよしライナーに乗り換えです。 いきなりですが広島駅に着きました。ww すでに方向幕が変わっていますが、キハ120の2両編成での運行でした。先頭は美祢線色のキハ120-17で、2両目は芸備・福塩線色のキハ120-322でした。三次から車内はかなりの混雑で、途中で写真を撮る余裕はなかったです。 結局、芸備線全線をキハ120で乗り通すことになってしまいました。 次の予定の列車までに時間があったので、路面電車で原爆ドームへ。 この記事のタイトルは山陰めぐりですが、気にしない、気にしない。(^^; 再び広島駅に戻ってきました。次の目的地は三江線です。 三江線のきっぷを買っておこうと思ったのですが、みどりの窓口は長蛇の列であきらめました。 三江線に乗るために、11:05発の普通列車で三次駅へ移動します。 編成は、1826D 三次← キハ47-95 キハ47-1103 キハ40-2122 でした。 この旅行で初めてキハ40系の首都圏色に乗れてちょっと嬉しかったです。 広島を出発した時点では、車内はそんなに混んでいる印象がなかったです。 朝と違ってゆっくりと景色を楽しみながら、再び三次駅にやってきました。 次の三江線の列車の出発まで1時間半ほどあったので、自由通路で駅の裏側(南側)にやってきました。 目的は留置されている浜田鉄道部色のキハ120-321を撮るためです。 おそらく次に乗る三江線の列車に充当されると思われます。 この留置線の向こう側には転車台があったと思うのですが、撤去されたようです。 (2日目その3へもどる) (その2へつづく)